セイレーン

望月が夜空に浮かんでいる。あたり一帯へとねばついた感触がし潮の匂いがする風が吹いた。
遠目から見てもわかるほどに海面は高かった。あけは波を警戒し海辺には近寄らず。ごつごつした岩肌を勢いよく蹴っては目的地へと進む。
(ここにドライアドが出るって本当かな?)
ドライアド。古い樹を本体とする伝説上の怪物。
数日まえにこの海の崖付近でドライアドが出た、それを目撃した男は魂を抜かれたように呆けたままだ、という噂で持ちきりとなっていた。
目撃した男の心を奪い骨抜きしてしまうほどの美貌を持つ人外。叶うなら一度拝みたいとおもってしまうのは男の性。
日の出ない深夜であっても、朱の外観は目立っていた。
双眸が紅蓮の炎を思わせる色合いでありながらも、髪の方は赤茶けている。しかも衣服まで赤系統により統一。
正体がなににせよ、人に有害なものであれば青年にとっては駆除対象。囮は注目される必要があった。
赤き象徴は、視界の先へ移動することを繰り返した。短距離空間転移術。朱の得意技である。
目的地へ到直した時、雲が広がり――丸い明かりをすべて覆い隠した。
(見事に真っ暗。いま出て来るなら相手は怪物。人が正体であれば――本日は不発かな)
顔面が痛く感じるほどに強い風が吹きはじめた。しばらく経つと視界が格段に良くなっていく。
(遠方でなにかが動いた。だれかいる。ボクには気づいていないっぽいし。しばらくは様子見だな)
茂みのなかで完全に気配を絶ち。息もひそめていると、人外かもしれない者は朱から大分離れた場所を通り過ぎていった。
足音がまったくしない。玄人の殺し屋をおもわせる歩き方だった。
腰の長さまである銀糸がきらめいた。
肌の色は白く、手足が長い。距離を保っているため相手の背丈はわからなかった。服の色も暗がりにまぎれる系統色のため何色かは不明。
しなやかな銀髪を眺めては――どちらかといえば樹をつかさどる魔物よりも他の魔性っぽいなと考えていた時。
崖の端側へと歩を進めていたその怪異はやがて海へと飛び込んだ。

「!?」
人の形をした未知なる者が海中へと飛びこもうとした一瞬まえ。
まばゆい月の光によって照らしだしたことにより、相手の貌が朱の視界へと映った。
事態がのみこめず、突っ立ったままで硬直してしまう。我に返るとすぐさま駆け出し、魔術行使のため五指を広げた。
崖の上から海水へと一気に落下した後、水面ギリギリの位置で制止。音を立てぬよう用心しながら水中へとゆっくり潜り。慌てて追跡を開始した。
(まさかそっくりさんってオチないよね。もしそうであれば――全力で口説いてみるのも一興)
不埒なことを考えていた際、突如背筋がぞくりとした。
実際年齢よりも幼い顔立ちの青年は、考えるよりも本能で反応していた。
とっさの魔術行使によって創成したのは、合わせて五枚重ねとなる防御壁。
全力で創りあげた最高レベルの防壁であっても、勢いよく突き出された鋭い銀の刃はそれさえも一気に貫き通す。
「!!」
その激しい猛攻により、標的とされた朱の首へと刃先が突き刺さろうとする。刺されば即死を免れない勢い。
(あの人なら――ボクにぜったい気づく)
直前で必殺の剣撃は急遽停止され、剣は瞬時に消失した。術者が術を解除したからこそ起こる現象だった。
「――朱」
「はは、やっぱ本物」
れいかい。朱よりもひとまわり年の離れた兄。同時に朱が見初めた寵妃でもある。
朱が世界でいちばん美しいと評価する目鼻立ちをした主はすぐに怪訝な顔つきとなり。真夜中にこんな場所へいた理由を問う。
「朱、なぜここに?」
「灰こそ、なんでこんなところにいるの。まさか浮気じゃ……」
「おまえといっしょにするな。次回大戦に備えての水中偵察に決まっている。おまえの方こそここに来た理由を話せ」
「ちょっと……物見遊山……ぐっ」
呼吸が急激に苦しくなった。魔力切れを起こしたと気付いたときにはもう遅い。
空気を吸いに海上に上がろうと手足をばたつかせるが、朱のからだはまったく浮上しようとはしてくれなかった。
「かはっ……」
息苦しさが増した。
泳ぎが苦手なことがこんなところで裏目に出た。
水中へ潜るだけでも外壁と浮力の同時魔法が必要とされた。その負担は通常の二倍。
その負荷へのつけがいまやってきたということだった。
(三十分は余裕で持つ予定だったけど……。宋江軍元帥の武力行使に対する防御魔術で魔力を一気に使い果たしちゃったのは誤算だった)
このままでは呼吸困難を起こす。なんとかならぬものかともがくように手足を動かすと。
美貌を歪ませしかめっ面となった灰に首根っこ部分の布地をむんずと掴まれ、高速移動魔法により陸地へと引っ張り出された。
朱の首を容赦なく絞めつけたまま、彼は崖まで一気に力技で跳躍し、先ほどいた崖の上へと戻る。
「げほっ……苦しっ……。うえっ。……はっ……。この扱いって……あまりにもひどくない?」
別の意味で窒息すると相手の胸を手で叩いて訴えるとようやく手が放された。
猫の子であってももう少し丁重に扱ってもらえると苦情を出せば。冷笑とともに毒舌が返された。
「愚行を重ねる弟であっても、見捨てはしなかっただろう」
「なんでボクにだけいつもそう辛辣かなっ。あなたはボクの寵を受けいれた。それならもっとやさしくしてよ」
「大戦では天皇としての本分も果たせなかった癖に。要求だけ寄越すな、朱」
朱が内心負い目におもっていることをさらっと指摘された。それによりどんどん頭に血が上っていくことを自覚してはいても、決して口を閉じることはしなかった。
自分とはまったく似ていない息子を引き合いに出し、嫉妬心に苛まれた男は想い人へと待遇差に対する不平をとなえた。
「……黒皇子にはやさしくしてるよね。あそこまでいくと完全に贔屓だって」
「あれは愛弟子兼友人だ。それに次期後継者を構うのは元帥として当然のことだろう」
「……っ。ボクがずっとあの子に嫉妬してるって知りながら、いつも平然としてるのほんと無神経!! こんな生殺しもう沢山だ。――いい機会だよね、あなたの前から永久に消えてあげるよっ!!」

回復した微量の魔力をぜんぶ使い切ることを承知の上で、朱は崖の上から海中へと転移を行う。
水中に落ちる音、落下したことによる衝撃、それらは緋の青年にとって苦痛ではなかった。愛しい人を想う度に締めつけられる胸の方がずっと痛い。
海中へと落ちたことにより息がつまる。
まぶたを閉じたことから視界が閉ざされ、波の音だけが中耳へと響く。
生物の近づく気配ひとつしなかった。
待ち人は来ない。
(嫌いになったって――そう言ってくれて構わなかったんだよ、灰)
流れた涙は海中に混じり、いよいよ呼吸が尽きようとしている。
未だだれもここへと訪れる兆しは感じられなかった。
本気で愛想を尽かされたなら――今度こそ恋に溺れた愚者は終焉を迎える。
それを享受した瞬間。
――ドォンとすさまじい音が響いては鼓膜を振るわせ、一時的に周囲の音がなにも聴こえなくなった。
体勢を崩して落下し朱は地面へと臀部を打ち付けた。
「ごほっ……げほっ……ぇ?」
口の中に入った海水を吐きだし。塩がしみて痛む目を我慢して見開くと。とんでもない光景が眼前にあった。
大量の水が真っ二つに分かれている。
朱は断面部中央にいた。本来ならば水流といっしょに切り裂かれていないとおかしい。傷どころか衝撃ひとつなかった。
遠距離探索魔法により朱の居場所を突き止め。朱周辺に防御魔術、海を一撃で真っ二つに切り裂く分断魔術、切り裂いた塩水を短時間そのまま保持させる固定魔法。三つの大魔法が同時にかけられていた。
朱の左右腕一本分ずつくらいの幅で海面が両側固定されている。完全固定されている海面に目を奪われていると、空中から長身の男が飛び降りた。
「灰」
「朱、私といっしょに来なさい」
穏やかな声音。
幼き朱を溺愛してくれていたころのやさしい兄をおもい出す呼びかけだった。
名を呼ばれてはじめて気づく。いつしか聴覚は戻っていた。
「うん」
こくりと頷いては素直に応答する。灰が先に歩きはじめると、後ろをゆっくりとした歩調でついていく。
途中で兄は足をとめた。
洪波洋々とする海面を遠方でしばらく眺めながら灰はぽつりと告げた。
「こんなことは二度とするな」
「それは――灰次第かも」
「この大馬鹿者がっ」
がっと襟元を乱暴に引っ張り上げられ強引に正面を向かされる。
灰は激しい気性を持つ一面もある。
癇癪を起こして彼を振り回した代償として、今度こそ本気で殴られることを覚悟した朱は衝撃に備えてまぶたをぎゅっと閉じ奥歯を食いしばった。
「……っ」
恐れていた瞬間はいつまでもやって来ない。
「ぇ?」
代わりにやってきたのは、ふにっとしたやさしい感触だった。
朱のまぶたへと灰の形のよいくちびるがそっと押し当てられ数秒で離れてゆく。
「……」
「ちょっと……いまの……なにっ!?」
番狂わせ過ぎる相手の反応。混乱しながらも朱が問いただすと。
眉間にしわをよせながら辛口な台詞が吐き捨てられる。毒舌はまだまだ健在だった。
「プレイボーイの癖に、まぶたへのキスの意味を知らないとは――無知にもほどがある」
「違うって。知ってるから混乱してるんだよ。憧憬ってすごくかわいいよりも上って解釈だよね。かわいいっておかしくない? ボクもう成人男性なんだよっ。ボク閨で散々あなたを組敷いたよね。それなのに灰にとってボクってまだガキんちょな訳?」
「駄々をこねるのと手がかかるところはまだ子どもだな」
灰は赤の衣装を手早く脱がす。海水で張りついた肌着まで強引に脱がされてゆき。どちらも絞ってから大木の枝の上へと放り投げられてしまった。
「顔に似合わずやることが豪快だなあ」
「下は自分で脱いで乾かせ」と告げ、彼の方も地味な衣服を脱ぎはじめる。灰の服は魔術防壁により一切濡れていないから脱ぐ必要はなかった。
なにが起こっているか事態を把握できず。直立不動になってしまう朱。
反応が鈍い弟を一瞥し、灰は背を向けてしまった。
また兄の機嫌を損ねてしまったかと朱が肩を下ろして消沈していると。
「おまえの服が乾くまでであれば好きにすればいい」と憮然と言い放たれた。
首元でひとつゆわえした銀髪から見えるうなじがたまらなく色っぽく。
灰限定で性別に頓着しない朱は、広背筋がきれいについている愛しい相手の裸体を目にし、自制心を総動員させながらも軽口を叩く。
「そんなきれいな躰を見せつけられたら、性的に好きにしちゃっていいんだって解釈しちゃうな」
「――わかっているならさっさとしろ!!」
 不意の怒号に朱は慄き、びくっと肩を上下させる。
(うそっ……これって据え膳っ!! ヤバい、さっさとしないと灰はすぐに気が変わるっ)
慌てて相手の両肩へと手をそえ、ご好意に甘えますと意思表示を行った。
「まずはキスのお返しからね」
ふっくらしたくちびるに舌を這わし、強く抱きしめ躰を密着させる。叶うならこのままずっと彼の傍から離れたくないと願っての抱擁だった。
(おもい出した。ちっちゃかったころに灰から教わったんだ。あれは――セイレーン)
異世界神話に出てきた海に生息する魔物。
美しい歌声で惑わし、魅了し、溺れさせ、喰い尽くす。恐ろしい女怪物。
美しさと強烈さで人を惹きつけてやまない灰の存在も朱にとっては魔性にひとしい。
この地域の男は隠密行動をとっていた灰を偶然見かけ。一目惚れして恋の病に落ちてしまった。
朱も幼きころより兄に心を奪われたまま。
「やっぱり――あなたはボクのセイレーンだ」
愛しい相手のすべらかな肌にふれながら、朱は胸のうちでひとり想う。
命ある生物である限り、すべてが必ず滅びを迎える運命。
それならば――朽ち逝く理由はあなたがいい。


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サークル名:SOMARI(URL
執筆者名:猫賀ねこ

一言アピール
架空世界や人間世界での異能力者の話を主に書いています。いまはBLが主流です。
今回の話は冬に発行した「ディソナンス」黎・朱×黎・灰で小話を書いてみました。

Webanthimp

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