浜の名前

 ―――宮城県名取市閖上ゆりあげ
2011年3月11日。
あの日、この地名の読み方を知った人はどのぐらいいるのだろうか。
私に近くて遠い海の名前を。

 宮城県名取市。
県内の人であれば、こう言うだろう。
『仙台市の南隣』
よく旅に出る人なら、こうかもしれない。
『仙台空港の北半分』
おいしい物に詳しい人なら、こうだろう。
『日本一の赤貝が獲れる場所』
『仙台セリの産地』
歴史に詳しいなら、こうだ。
『東北熊野三山のある場所』

 県道129号線、閖上港線。
通称、閖上街道。
内陸の名取駅からまっすぐに東に延び、閖上に至る道路。
閖上地区のシンボル、五差路にかかる歩道橋。
歩道橋が撤去されると報道されて、居ても立っても居られなくなってしまった。
2017年11月初旬、名取市から仙台市内に転居して三年目を迎えようとしている。
当時、名取市という同じ市のくくりの中に住んでいたのに海は遠く、長い間足を踏み入れることはなかった。
あの日、仙台市内にある仕事場で被災して近くの大きな公園に避難した。
近くにいた見知らぬ人がかざした携帯電話のワンセグには、津波の映像が流れていた。
無理な力がかかって内陸へと移動させられていく被災物たちと、茶色に濁って流れていく波が現実とは思えなかった。
あの映像を思い出せばなお、今でも怖い。
それでも今、この目で見ておかなければいけない。
何もできないからこそ、心に刻まなければ。
そんな気がした。

 仙台駅から東北本線で南下して十五分、四駅目。
名取駅前でレンタサイクルを借りた。
実家に行けば自分用の自転車はあるが、家族に行き先を聞かれるのが面倒だ。
四時間まで利用で二百円。
お手頃価格とはこのことか。
一台は貸し出し中だったが、他は空きがある。
鍵を受け取る。
カゴにレンタサイクルとカーネーションのゆるキャラが描かれたプレートが取り付けられている。
閖上は東北一のカーネーションの産地だ。

 名取駅近くは平旦地で海の気配はない。
見慣れた景色は、変わり映えしない。
旧国道を越えて数分も走れば、国道四号線のバイパスだ。
隣の交差点には赤い矢印と『閖上海浜プール』の文字の入った縦看板が見える……はずだが、海浜プールの文字は白く覆われている。
交差点を越えれば昔ながらのバッティングセンターがある。
次の信号機の向かい側にコンビニエンスストアが見えたので、飲み物を買う。
この先、仙台東部道路の入り口付近までコンビニエンスストアはない。
裏には公立の高校が建っている。
数年前、この高校の卒業生がプロ野球選手になったと少しだけ話題になった。
高校野球を経た生徒がプロ野球選手になっただけならば、誰も驚かない。
宮城県にはプロ選手を排出している学校が他にたくさんある。
春秋ともに県代表になったこともなく甲子園も経験していない、超弱小高校出身。
そんな経緯もあり地元球団への入団も期待されたが、首都圏にある別の球団へ入団した。
なぜ詳しいのかというと、私の母校でもあるからだ。
あの日から少し過ぎて、母校では被災で制服がなくなってしまった学生たちのため卒業生に呼びかけもあった。
残念ながら、私の制服はすでに処分したのを心苦しく思い出す。

緩く巻いたマフラーが、後ろにたなびく。
今年は例年になく風の冷たい日が続いている。
宮城県は東北地方の中でも温暖で、雪も少ない。
むしろ南隣の福島県に年間積雪量は負けている。
おそらく今年も負けるだろう。

 両親は私の生まれる前年に名取市に転居してきた。
名取市を選んだのは両親曰く、単なる偶然だったという。
不動産屋で最初に紹介された賃貸住宅が名取市だったらしい。
ちょうど仙台市のベッドタウンとして、家族連れに人気が出始めていた頃だったようだ。
岩手県内陸出身の母親と宮城県北部の同じく内陸出身の父親は名取市に住み始めた当時、冬の積雪量の少なさにいたく感動したらしい。
新たに住み始めた土地で私と弟を育てあげたから、閖上に住む親戚はない。
高校の部活の先輩や同級生が何人か閖上出身だったぐらいしか関わりはない。
流された人たちのことは知らなくても、閖上は知っている。
今となっては顔も思い出せないような繋がりしか持たずに、『あの日』同じ市に住んでいただけで閖上を思ってもいいだろうか。
それこそ中途半端なことになりはしないか。
長く自転車を漕いでいると、問いが頭から離れなくなる。

 歩道のアスファルトの粗い部分が、乗り上げるたびにガタガタと鳴る。
下半身の筋肉に響く、嫌な音だ。
畑と田んぼ、トタン屋根の家、ビニールハウスと整備工場。
国道四号線からも仙台港からもそんなに遠くないせいか、大型トラックが多く走る。
今はかさ上げ工事のためのものなのだろう。
脇を走り抜けるたびに身をすくめるのも、県道なのにちっとも整備されないあたりも昔から変わらない。
昔通った自動車学校の敷地には、倉庫がいくつも立ち並んでいる。
だんだんと海に近づいていくにつれて、心がざわめく。
自分の体なのに、息がうまく吸えているか自信がない。

 『閖上字大曲』『閖上まで二Km』の標柱から、周囲の景色が変わり始めていく。
工事中とこの先行き止まりの看板が目につく。
少し奥まった田んぼの中には、牧草地のロール草ほどもある大きな土のうが積まれてある。
隣の家より一メートルほどかさ上げされている、骨組みだけの家。
真新しい平屋の家が道路脇にちらほらと見え始める。
集合住宅式の災害公営住宅が視界に飛び込んでくる。
仙台東部道路の下まで来ると、『津波到達地点』の青い標識が現れる。
建設中の閖上小中学校。
五差路の脇にあった閖上小学校は、近くにあった閖上中学校と統合して一貫校となる。
来年の春、2018年4月に開校予定だと帰省の折に広報誌で読んだ。

海のそばで生まれたわけではない。
でも、いつだって海とともにいた。

 初めての海は三歳の時。
閖上朝市に連れて行ってもらう時には前日から眠れなくて。
年末に朝市でナメタガレイを買うのは宮城県民として欠かせない習慣で。
小学校高学年で姉妹都市の子たちと地引網をしたのも。
中学時代に友だちが失恋して、みんなで叫びに来たのも。
山を切り拓いた団地にある、友だちの家から見える遠浅の海も。
七月の終わりに同級生たちと行く花火大会が楽しみだった。
高校に入学して初めてのクラス親睦合宿は、海のすぐそばの民宿。
部活の練習と称して、先生が付いてこないのをいいことに集団サボりをしていたのも。
高校のマラソン大会ではサイクルスポーツセンターのコースを走った。
隣接するサイクリングターミナルビルの食堂で、わかめしか見えないラーメンを部員全員で食べたのも。
名取を離れてしまっても、思い出す海は。

全部、閖上だった。

 五差路の先、まっすぐ行けば閖上港。
斜め左前は閖上の町の中。
右は県道十号線、南隣の岩沼市を経て亘理町へ。
左の名取川に架かる閖上大橋を越えれば、仙台市だ。
目印は水色の歩道橋。

 ―――遅かった。
五差路の歩道橋は半分以上が撤去されている。
道は区画整理のため閉ざされ、その先へは行けなくなっている。
名取駅からまっすぐ辿ってきた道はゆるやかに右にカーブを描き、迂回路から立体交差路の上へと通じている。
これからもっと工事が進んだら、掘り下げ式の立体交差路として生まれ変わるのだろう。

 「さよなら」
言葉が出る。
変わっていく閖上の町になのか。
姿を変えていく五差路になのか。
はたまた撤去された歩道橋になのか。
わからない。

 浜の名前は変わらなくても、私の知っている海の気配はどこにもない。
潮の香りさえも、うず高くかさ上げされて道筋の変わる五差路からはうかがい知ることができない。
いつか、ここに五差路があったことを知る人はいなくなる。
記憶の中の海は変わらないまま、遠くなっていく。


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サークル名:暁を往く鳥(URL
執筆者名:砂原藍

一言アピール
現代日常・恋愛・学生・強い女子好き。通称、ローカル食アンソロジー東北編主宰です。今回は東北が舞台の作品を集めたMAP企画・東北においでよMAPやります。今回は東北六県の郷土食アンソロジーと糸偏の漢字で綴る作品集、創作サイトからの採録集に加えてアンソロジーと糸偏の漢字で綴る作品集、それぞれ第二弾を用意する予定です。

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