真里子

少し離れた所に車を止めて、坂道を登った。
砂利道は歩きにくかった。少し前を歩く真里子も踵の低い靴なのに歩きにくそうに時々よろけていたけど、決して手は貸してやらなかった。言葉ひとつ掛けてやるつもりもなかった。
27年間、私はこの女に囚われていたと言っても過言ではない。いつも隣にいた。どんな時でも私に纏わりついて、私の周りのものを何もかも掻っ攫って行った。微笑みひとつで。
だから高校を卒業する直前、真里子が突然姿を消した時は喜びしか感じなかった。その直前に酷い喧嘩をしたことが原因だとは思ったけれど誰にも言わなかったし、死んでいたって構わないとすら思った。最後にあの女を罵ることができて良かったと自分を褒めてやりさえした。そしてやっと私のものが私の所に戻ってくる、そう期待した。けれど、みんなは真里子を求めたのだ。私の所に戻って来たのはこの女が捨てて行ったがらくた、この女の行き先を知りたい奴らだけで、私に掛けられる言葉はいつも質問ばかりだった。真里子はどこに行った? 真里子は何か言い残さなかったか? 真里子が最も多く噂話をしていた男の名前は誰か? うんざりした。
だから私はその後すぐに生まれ育った町を出て、それきり10年戻っていなかった。

それが今、私は真里子とこの町の土を踏んでいる。
どうしてこんなことになっているのか、実の所私にも分からない。数日前の晩、どこから知ったのか両親すら知らない私の居場所を突き止めた真里子が突然私の目の前に現れ、プラダの真っ赤な小さいハンドバッグからぎっしり詰まった札束を取り出して私に押し付け、私をこの町へと連れて来たのだ。
丸一日車を走らせたせいで全身が痛み、おまけに夜通し真里子のつまらないお喋りに付き合わされて寝不足だった。真里子は私が何をしていたか聞き出そうとするばかりで自分がこの10年間何をしていたか全く話さなかったけど、しかしあの札束でおおよその見当くらいはつく。真里子の微笑ひとつで心臓まで差し出す男なんて、この町にすらいくらでもいた。

この町へ行きたいと言った真里子は何故かこの崖を目的地へ指定した。海が見える場所なら他にもあるのに、このろくに人も来ないような町外れに行きたがる理由は教えようとしなかった。
崖の先端を目指す間、私たちに交わすべき言葉はこれと言ってなかった。私は疲れて口をきく気になれなかったし、真里子は車中であれだけ喋り倒したにも関わらず今はただ前を歩いているばかりで、何を考えているのか理解できなかったから。 ただ私の数歩先を行く足元を包んだ真っ赤なエナメルのストラップシューズは、27になった今も相変わらずの少女趣味だったのを覚えている。その靴は真里子によく似合っていた。真っ直ぐな黒髪とワンピース、鬱陶しい甘い声、全てが17歳みたいなあの女に。
「夏美」
真里子が振り向く。その小さな顔はいつも通り微笑と困惑の中間みたいな表情をたたえていた。小首を傾げ、二重の乗った青みがかった黒い目でじっとこちらを見る。わたしはなんにもしらない無垢な女の子なの。そんな言葉が今にも飛び出してきそうな赤い唇。私の大嫌いな顔。
「……ごめんね」
かっと背中の辺りの何かが逆立ち、一体何に対して許しを乞うているのかと問い質したい衝動に駆られた。しかしその炎は一瞬のうちに消える。もうこの女に振り回されたくない。何かを奪われたくもない。疲れていた。あるいは、目の前に広がる情景のせいかも知れない。真っ青な海。崖の向こう側で、きらきらと白い光を繰り返している。綺麗だ。白い布に赤い花びらをばら撒いたみたいな、ずっと私の横にいて、みんなが綺麗だと言ったこの女よりずっと綺麗だ。より美しいものが真里子の姿を霞ませているから、私はいい気分だった。
「ずっと言いたかったの」
こちらに背を向けたまま、真里子がおもむろに靴を脱ぐ。靴の中は裸足で、まるでこれから砂浜を走って海に入るみたいに指先にストラップを引っ掛けている。細いベルトの金色の金具が、青い光を浴びてきらりと反射した。
不意に真里子がくるりとこちらを振り向く。嫌味なくらいに完璧に翻るワンピースと黒髪。海を掻き消さんばかりに真っ赤なルージュを引いた微笑。
「すきよ」
振り向き様にそう言った後、真里子は紐を振り回してプラダをこちらに放り投げた。そしてその遠心力が働いたみたいに、真里子の体が後ろに傾いて行く。止める間もなかった。止めるつもりがあったのかも今となっては分からない。波の音が数回、耳をかすめてから崖の下を覗き込んだ時、そこに真里子の姿はなかった。ただ青い水の上に靴がふたつ、花びらみたいに浮いていただけだった。


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サークル名:eatitiqua(URL
執筆者名:犀川ゆう子

一言アピール
アンソロは女性が主人公ですが、新刊はほぼBLです。文や話の雰囲気は大体同じだと思うので、参考までにどうぞ。

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