魔法薬剤師の処方箋 「ケース雨女」

「こちら問診票です。質問項目が細かいですが詳しく書いてください」

 僕は新規のお客様に問診票とペンを手渡す。
 ここは魔法薬店。僕はこの店の経営者兼薬剤師のアニー=クロッカス。従業員を雇っている余裕などないので、店のことは全て一人で回している。
 ここは普通の薬屋ではない。魔法で材料を加工、さらに効力を上乗せした薬を処方している店だ。うちの魔法薬は定番薬と個々の症状に合わせて特別注文オーダーメイドの二つを取り扱っている。後者は症状に合うまでブレンドを繰り返す。そのためお値段はやや高め。でも薬の効力を保証している。薬は症状を根本的に取り除くものじゃない。生活の中で時折必要になる、杖のようなもの。あまり必要とされない方がいいけど、それでは当店は閑古鳥が鳴いてしまう。
 また今日も悩めるお客様がうちの扉を潜る。本日いらしたお客様は一体どんな悩みがおありなのか。

 僕はお客様から問診票を受け取る。出生地、生い立ち、悩み、お客様の全てを書いてもらう。しかし今回の悩みの項目は空欄……。この仕事は信用第一。まずは信頼されなければいけない。
「ロゼ=スルス様、私は薬剤師のアニー=クロッカスです。当店のご利用ははじめてでいらっしゃいますが、今日はどういった薬をお望みでしょうか?」
 僕は鼻にずれ落ちた眼鏡を中指で押し上げながら、対面に座る女性のお客様にゆっくり話しかける。数秒沈黙が続いた後、彼女のターコーイズ色の瞳が僕の顔を凝視したかと思うと話を始めた。
「……ロゼで結構です」
「私もアニーとお呼びください」
「実はアニー先生、私は雨女なんです」
「はい、……雨女ですか?!」
 また珍しい注文がきたな。と内心で思うが顔には出さないで聞き役に回る。
「ええ、信じられないかと思いますが、かなり強力な雨女なんです! そしてかなりの頻度で水に落ちて……。きっと私は水に祟られているんです」
 彼女は語気を強めて訴える。柔らかそうなローズピンク色の髪が揺れる。
「は、はぁ」
「私、夏に海に行きたいんです! 友達と海水浴に行くはずだったんですが、でも私が来ると雨になるから遠慮してくれって……」
「それは酷い」
「そう言われるのも当然です。私が行く日はいつも嵐になるんですから……でも今年こそ晴れた日に海に行きたいんです」
 そういう彼女の肌はシミが一つもない色白だ。いや青白いと言った方がいいかもしれない。
「お悩みは分かりました。既存の薬にそういったものはないので……」
「もちろん特別注文オーダーメイド)で薬を処方してください!」
 彼女の注文は一つ、『雨女を治す薬』だ。
 これはまた厄介な客が来たものだ。

「君は雨男とか雨女って信じるかい?」
「はっ? なんだそれ、また変わった客がきたな」
 僕は店に来ていた友人に質問を投げかけた。
「そうなんだよ。本人から承諾は得ているけど個人情報なので他言は……」
 僕は問診票を友人に差し出した。
「分かっている。で、どんな処方をしたんだ?」
 友人のクロードは問診票と処方箋の紙を交互にめくって内容を確かめている。僕はその間に硝子のピッチャーに入ったお茶と二人分のグラスを持って運んできた。今日は暑いので氷を浮かべたアイスティーにしてみた。普段この店に入り浸っている友人には、こういう時は頭脳労働してもらわないと。まあ知識が豊富なのでそう邪険に出来ない存在でもある。
 僕らの種族の能力は九割方遺伝だ。この友人のクロードの家は氷の一族出身。そのため炎の魔法に才能がない。そして体質によって治療法も変更が必要になる。僕は薬屋の子だから単純に薬師を職に選んだ。カエルの子はカエルというわけ。
「水を引き寄せる体質と想定して、水と相対する地の属性が強まる薬剤を主成分に、また厄介なことに海に行きたいという注文だったから、少しの時間だけ海水に入れるように調整したんだ」
 人一人の力で天候が動くわけがない。古今東西雨乞いを生業にしている職業、魔物はいるが彼女の経歴を見てもその類とは思えない。
 水を引き寄せるか、それとも太陽に嫌われているのか、体が電気を帯びて雨雲を呼ぶのか。正直迷った。何度目かの調合で薬は完成した。数時間前雨女のロゼは満面の笑みで、これなら海に行けると喜んでいた。
 ただ今回の処方は一抹の不安がある。他にも見落とした要因があるのかもしれない。こういう場合自分の腕を驕らず第三者の意見を乞うのが正しい。
「また変わった処方を作ったな」
「配合が結構大変だったよ。水分補給が出来なくなると困るしね」
「……ん? 彼女の両親はトゥルビヨン地方の出身だな」
「出身地が何か?」
「天の姫君と大海の王子の伝承がある地域だな」
「ああ、それなら、子供の頃寝しなに聞かされた。お伽噺だろう?」
 子供の頃聞いた話だ。争いをして空を割った国と海を裂いた国があったと。その両国の王族が償いのため壊れた空と海を繋ぎとめているという。恐ろしく悲しい物語で、子供の教育のためのお話だと思っていた。
「ところがそうでもない。海を裂いたトゥルビヨン国の人々は、水、特に海に嫌われているとどこかの文献で読んだ覚えがある。そのため海のない山間部に一族で移住したらしい。何千年経っても海の精はその事を覚えていて血族を嫌っていると」
「……なるほど、でも仮にロゼがトゥルビヨンの血を受け継いでいるとしてだ。いまの彼女は雨女で悩んでいて水を引き寄せてしまう体質だ。どちらかというと水に好かれている……辻褄が合わないじゃないか」
 おかしい。何か一つボタンをかけ間違えているような違和感を覚える。
「例えば大雨が降れば、俺は海に行こうなんて思わないけどな」
「えっ?!」
 まさか、海に近寄らないための予防線だというのか。
 ならば、僕の処方は……。
 僕は椅子が後ろに倒れるほど勢いよく立ち上がると、店の奥の薬棚から青い瓶を取り出し鞄に詰め込んだ。
「おい、アニー突然どうした!」
 作業机の引き出しから鍵を取り出して、クロードの方に投げた。
「クロードどうやら僕は誤診をしてしまったみたいだ。悪いけど店の戸締りをして表の戸に本日休業の札を下げておいて」
 僕は口早に無茶な願いを押し付ける。
「……分かった」
 僕の緊迫した口調で何かを察してくれたのか、クロードは了承してくれた。
「鍵は次に来るとき返して」
 そう言い残し僕は店の扉を飛び出る。空には雲一つない恐ろしいほどの快晴だった。

 ロゼは友人達と海に来ていた。住んでいる街から小一時間ほどの浜辺だ。珍しいものではないのかもしれない。でも今まで見たことがないほど青い空、そして海より少しトーンが濃い海の青さ。ロゼは自然と両腕が上がり伸びをした。
「アニー先生、天才だわ」
 薬の処方は完璧で、雨女を一時的に治してくれた。
 しばらく砂浜と波打ち際で遊び、いざ海へ。初めて海に足を踏み入れる。思い切って水着を買ってよかった。
 ロゼはもちろん泳ぎの経験がない。しかし足がつく浅瀬ならば溺れることはないだろうと友人達に誘われるがまま、海に飛び込んだ。

「ロゼ=スルス!」
 ロゼは誰かにフルネームを呼ばれ振り向いた。
 するとそこには薬剤師のアニー=クロッカスがいた。彼は服のまま海に飛び込むと、鞄から何やら青い瓶を取り出し、中味をロゼに向かってかけた。
「きゃあっ! 先生なにをするんですか!」
「説明は後だ。今すぐ海から出るんだ。早く!」
 アニーはロゼの腕を取ると、強引に砂浜の方へ歩き出す。ロゼは理由も分からず浜へ引き戻されることに納得がいかず、アニーの手を振り払った。
「説明してください! その瓶は何なんですか!」
「魔法薬の効力を消す薬を撒いた」
「どうしてですか! せっかく雨女が解消されたのに」
「君の雨女の体質は、君を守ってきたんだ。すまない、僕は誤診してしまった」
「えっ?」
 ロゼは両足を何かに掴まれたような気がして海面を見た。そこには無数の影が……。
「危ない!」
 今日は凪の海で波が小さかった。しかしロゼの背後に唐突に大波が出現した。
「きゃあっ!」
 ロゼは咄嗟に近くにいたアニーに腕を伸ばした。二人は波にさらわれ海中に沈む。

 僕は海の中で海流に揉まれ一瞬パニックになったが、努めて冷静さを取り戻す。
 海中で目を開けるのは結構辛い。もっと準備をしてくればよかった。
 目を塩分から守る薬、いや今は水の中で息が出来る薬だな。案の定パニックに陥っているロゼの体を両手で押さえつけると、抱えて水面に浮上を試みる。
 しかし、暴れるロゼの体を見ると、魚や甲殻類などが張り付いていた。まるで彼女を攻撃し捕獲しようとしているかのようだ。海は自らを傷つけた血族をまだ覚えているというのか……。僕は魚を追い払いながら水面まで泳ぐ。
 あと少し! 
 息が……もたなっ。暴れるロゼを押さえつけるのに、体力を消耗する。おまけに服を着たまま海に飛び込んでしまった自分を呪いたい。 
 海面に手を伸ばす。しかし、魚達がそれを阻む。
 くそっ、届かない。息がっ……。
 諦めかけた時、襟首を掴まれ勢いよく船の上に引き上げられた。
「服を着たまま、海に入るやつがあるか!」
「ごほっ、ごほっ、ありがとう……助かった」
 船の上には、友人のクロードとロゼの友人たちが心配そうな顔を覗かしていた。心配して追いかけてくれたようだ。持つべき物は友だな。
 先ほどまで真っ青な青空は、ロゼの存在を認めて雨雲を連れてきた。
 ポツリポツリと雨粒が落ちてくる。
「君の雨女の体質は海から身を守るためにあるんだ。忌み嫌われるというより祝福なんだ。だから……雨女も水辺に近づくのも諦めてください」
「この体質が祝福?! そんな……」
「命の方が大切です」
 申し訳ないが、魔法の薬と言っても万能ではないのだ。
 ケース雨女、処方不可能。
 そんな訳で、僕はこれ以上薬の代金はいただけない。今月の売上を頭に思い浮かべながら、雨空を見上げた。


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サークル名:夢花探(URL
執筆者名:ほた

一言アピール
「ラストはハッピーエンドにするけど崖に突き落とす」をモットーに、長編ファンタジーと現代短編を執筆しております。
今回のアンソロは今後発行予定の「老舗魔法薬店末っ子長男の処方箋」の関連短編です。花の中の花の同一世界観でクロスオーバーのような、違うような?短編集の予定。ホントまだ予定。

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