サーモとカティ
生前、伯父は庭に缶詰を埋めておいたという。庭といってもマンションの共用庭だ。防災グッズのつもりだったのよと伯母は言った。伯父が亡くなったのはもう何年も前で、伯母は缶詰のことをすっかり忘れていたらしい。掘り返してみることにした。庭の土は固く、わたしたちはあっというまに汗びっしょりになった。伯母はくすくす笑った。
「よくもまあ、こんなところに埋めたよね」
災害の備えを土に埋めたということは、伯父は古いマンションをあまり信頼していなかったのだろうか。でもけして引っ越さなかった。大人にはややこしいところがある。
伯母が住むマンションは坂の上に建っている。白いでこぼこ壁と、くるんと丸まったバルコニーの柵がしゃれた造りで、まるで丘の上のお城だ。とはいえだいぶ古い。近くで見れば壁はところどころ灰色にすすけ、雨だれがシミになっている。
缶詰たちは無事だった。乾パンやツナ缶や桃缶などが、一斗缶に入っていた。桃缶は缶切りがないと開けられないが、缶切りは入っていない。つまり伯父はおっちょこちょいだった。おっちょこちょいだから早死にしたわけではないだろうが、手先が器用で凝り性なわりに抜けているところが多かったと伯母が言った。
「私たち、まるで墓荒らしね」
いろいろな考え方がある。わたしは宝探しのつもりだった。一斗缶はところどころ錆びていた。
毎日蒸し暑いが、薄曇りの日差しは勢いをうしないつつあった。もう八月も終りだ。マンションの屋根がぬらりとひかった。このマンションはコバルトブルーの瓦屋根で、波うつ青色は海だ。伯母はひとりぼっちでお城に閉じ込められたお姫さまであり、マストをうしない沈みゆく船でもあった。
いやお姫さまというには散らかった部屋だった。テーブルの上はいつもコップや調味料が居座って、よくわからない飲みかけのくすりや手紙や雑誌や、がさがさ積まれている。押し寄せる波だと思った。
「お疲れさん」
波を無造作にどけ、伯母は自家製のジンジャーエールを出してくれた。けっこう辛いけどおいしい。伯母はあれこれ手作りするのが好きだ。着ているワンピースもお手製で、わたしは伯母に「宿題」を助けてもらっていた。
「こんな感じでどうかな?」
文化祭で使うエプロンを作ってもらった。夏休み中に各自やっておいてと、実行委員の子たちはクラス全員にお揃いの布を配った。ピンクのギンガムチェックだなんて、どうにもキャラじゃない。そもそもうちにはミシンがない。わたしは早々に伯母に泣きついたのだ。
「すごい!」
生地に余裕があったろうか、たっぷりギャザーが寄ったフリルは、やっぱりわたしには似合わないだろうけど、若草物語みたいでドキドキした。
「ありがとう、くうちゃん天才」
伯父が亡くなったあとも、伯母は親戚の集まりには顔を出してくれている。血のつながりはないがなじんでいて、親戚みんな、くうちゃんくうちゃんとちゃんづけで呼ぶ。わたしもそれにならっている。親しみをこめてだろう。ということは、伯母はやはり「よそのひと」なのだ。
「どういたしまして」
笑った目尻にしわが寄った。伯母はもうすぐ五十歳だけどかわいらしいひとだと思う。うちの母とはずいぶんちがうし、学校の先生にもこういう人はいない。お盆に集まったとき、もはや嫁でもないから気楽だな、ホームステイみたいなもんだねと言っていた。
六階の部屋は風がよく入り、火照った身体に気持ちよかった。
でも風の通らない部屋もある。本、漫画、レコード……。伯父の部屋はカーテンが閉めきりで、古いページからアーモンドみたいなにおいが漂う。飾り棚の片隅、わたしはいつも瓶詰めの帆船を見上げる。ボトルシップだ。分厚いガラス瓶のおなかに船が閉じ込められて、瓶の口はぎゅうっと狭く、しっかり栓で塞がれている。船はじぶんが瓶の中にいるなんて気づいていないみたいに見える。かつて伯父が作ったものだという。どんなひとだったか印象も薄いのに悪いけど、わたしは伯父のことをずるいしひどいと思っている。
伯母が言った。
「それ、あげようか」
わたしは首を振った。
「飾るところなんかないもん」
「たしかに飾る以外、使い道ないねえ」
ボトルシップはどうやって作るのか? 以前訊ねたとき、伯母はうそぶいた。「伯父さんは魔法が使えたから、小さい船の周りにガラスを膨らませて瓶詰めにしたんだよ」。そんなわけあるか。伯母は自分が大人であることを確かめるみたいに、すぐ嘘をつく。
「これは、サーモピレーっていうイギリスの船ね」
伯母が言った。名前をきくのは初めてだった。
ボトルシップは、瓶の中で船の模型を作る。二百年ほど前、船乗りが飲み終わった酒瓶に作ったものが始まりらしい。長旅のひまつぶしだ。ピンセットを用いて、小さな部品を慎重に組み立てていくから、時間と根気とテクニックが必要だ。ボトルシップは指先の魔術とさえいわれるらしい。魔術、魔法。
「中国からイギリスへ、紅茶を運ぶのに使われたの。どこの船がいちばん速く紅茶を届けるか、競争したんだって」
高くそびえたマストは大きく帆を広げ、船体は過剰なほど細長い。スピードを追求し、こうなった。帆船は海の貴婦人と呼ばれたという。大海原を疾走し、競い合う女たちについて夢想した。きっと甲板では、むさくるしい水夫たちが駆け回った。
思わずわたしは言っていた。
「それなら瓶に閉じ込めるのはかわいそうな気がする」
我ながら子どもじみた抗議だ。言ってすぐ恥ずかしくなった。伯母はいたずらっぽく笑った。
「じゃあ、今から出航しようか」
わたしたちはボトルシップを抱えて市民プールへ向かった。海ではないが、海のない町だから仕方ない。閉園まであと一時間。みんな帰り支度を始めている。まだ明るいのにすっかり夕方の雰囲気がした。
子ども用プールはがらんとしていた。浅いから(あるいはちびっこたちのおしっこか)ぬるかった。わたしは両手で瓶を支えていた。水面が揺れ、ガラスの肌をちゃぷんと濡らす。日差しによって、瓶はうっすら緑がかっているのがわかった。
伯母が言った。
「どうなると思う?」
「わかんない」
いやわかっていた。沈むに決まっている。瓶は重たい。どうして伯母はこんなことを? 瓶の口は塞がれているけど浸水するかもしれない。そうしたらほんとうに沈没だ。あるいは揺れで船が倒れてしまうかも。市民プールまでの道のりだって、わたしたちはずいぶん慎重に歩いた。
伯母は水着姿だった。スイミング用のシンプルなデザインだったが初めて見たので緊張した。水着貸してあげようかとは言ってくれたのだけど(サイズ的にはどうにかなりそうだったけど)、いま生理だからと嘘をついた。
「せーので手を離してごらん」
何か秘密が? もしかしたら伯母にも魔法が? ガラスだけぱりんと割れて、船は自由に走りだす……、まさか。そんな魔法じゃなくていい。たとえば瓶はガラス製ではなかったとか、そういう仕掛けでもいい。
せーの。
ボトルシップはあっというまに沈み、プールの底でごとんと鳴った。船はびくともしなかった。
伯母は五十メートルプールを往復した。ごめんね、ちょっと泳がせてと笑って。わたしは近くのベンチに座っていた。そうしてボトルシップを抱えているうちに気がついた。瓶底に、丸くくり抜いた跡があった。いったんガラスを切って、ふたをしたらしい。明るいところで見れば明らかだ。つまり船は瓶の外で作られた。なあんだ。泳ぐ伯母を目で追った。「伯父さんは魔法が使えたから」。やがて伯母はわたしに手を振り、ぐーっと潜水してみせた。沈んだのではなく。船でもお姫さまでもなかった。
帰ってから、冷やしておいた桃缶を食べた。土の中で眠っていた桃はとても甘かった。ところで一斗缶の中には缶詰のほか、厳重にくるまれたポケットアルバムも入っていた。どんな写真だったかおぼえていない。文化祭は案外楽しかった。
***
ボトルシップを作ってみたいと言ったら、母さんは目をまるくした。初心者向けのキットがあり、Amazonで買える。ぼくが作りたいのはカティサークという帆船だ。
「ずいぶん渋いものをほしがるなあ」
渋いというのはcoolということだろう。あんたは手先が器用だもんね、いったい誰に似たのかなと母さんは笑ったが、何を言っているのやら! ぼくの器用さはぼくが獲得した能力であって、遺伝ではない。そしてそれとはぜんぜんべつで、ぼくの目元が母さんそっくりなことや、母さんの運転する車のぶっとばす感じが最高に気持ちいいことは(ほかのひとの運転だと酔ってしまうのにね)、母さんから受け継いだことであり素敵なことだと思っている。まあいいや、今はボトルシップの話。
「途中で飽きない?」
「ぼくが道半ばで何かを投げ出したことある?」
「さあ、どうだったかな」
母さんは首をかしげたが、やがて誕生日にプレゼントしてくれた。黒い船体に白いマストのカティサークだ。こういう帆船はティークリッパーと呼ばれたのだと教えてあげたら、母さんはうなずいた。
「紅茶を運ぶレースをしてたんでしょ。ほかにはサーモピレーとか」
へえ、母さん詳しいじゃないか。大人は案外いろいろなことを知っている。
「むかし見たことあるもの」
でも嘘つきだ。サーモピレーはとっくに沈んだ。
一八六八年、サーモピレーは茶の輸送船として造られた。上海からロンドンを100日ほどで駆け抜け、風さえ出れば速度は20ノットに達したという。帆船時代の最後を飾った船のひとつだ。蒸気船の普及とスエズ運河の開通により、帆船は役目を終えつつあった。
サーモのライバルとして生まれたのがカティサークだった。ふたつの船はつねに比較され、一八七二年、ついに対決した。どっちが勝ったか? ロンドンに先に到着したのはサーモだったが、途中で舵を失いながらも一週間遅れで完走したカティは高く評価された。つまり引き分け。
その後カティは羊毛を運んだりポルトガルへ売られたり紆余曲折あったが、イギリスへ買い戻され、保存されている。唯一現存するティークリッパーだ。いっぽうサーモは、材木や石炭の輸送に使われ、ポルトガル海軍の練習船となった。式典の中で砲弾を撃ち込まれ、沈められた。残骸は今も海底にあるという。
ぼくのカティも悲惨な姿になってしまった。専用のピンセットをうまく扱えず、何度も瓶の中で部品を落っことし、接着剤がガラスの内側にべたべたくっついてしまったのだ。
「お疲れさん」
母さんはぼくの肩を揉んだ。
ぼくらはあれこれ議論したすえ瓶を割ることにした。瓶底を切断できればよかったけど難しい。できるだけカティに影響がないよう、少しずつひびを入れた。さいわい瓶は薄いガラス製だったのでうまくいった。
だからぼくが作ったのはボトルシップではなくただの船だ。とはいえかなり時間がかかった。とくにロープ張りに苦戦した。母さんは感心して言った。
「瓶の外であれ中であれ、船を作るのはとても難しいことだね」
ガラスを切ったり割ったりするのもね、と。たぶんねぎらってくれたのだと思う。
大伯母さん直伝だというジンジャーエールを飲んだ。けっこう辛いから、いつもは遠慮している。でも今日はそういう気分だった。むずかしい顔をしていたら、母さんが桃をむいてくれた。とても甘い桃だったので、缶詰にしてとっておけたらいいのになとぼくが言ったら、母さんは笑った。
サークル名:ザネリ(URL)
執筆者名:オカワダアキナ一言アピール
オカワダアキナといいます。だいたいいつもこんな感じの小説を書いています。ちょっと生意気な子どもや、情けない男のお話を書くのが好きなのかもしれません。今回のテキレボでは「修復と蘇生のアンソロジー 金継ぎ」が初売りのほか、いろいろなアンソロにおじゃましております。お見かけのさいはどうぞよろしくお願いします。