泡沫の墓標

「うん、冷蔵庫におかずが入ってるから食べてね」
 防波堤に腰掛けた青年が、携帯電話を片手に話し始めてそろそろ三十分が経つ。
 声がやけに甘ったるいから、電話の相手はきっと妹だ。彼は年の離れた妹が可愛くて仕方ないらしく、その接し方は傍目にも過保護に映る。
「戸締りには気をつけて。じゃあ、おやすみ」
 名残惜しげにそう囁き、青年――藤沢聡真はようやく長い電話を終えた。
 通話を終えたばかりだというのに、そわそわと落ち着きなく携帯を触っている。このまま放っておけば、何か理由をつけて二回目の長電話が始まるかもしれない。
「おい聡真、早くしろよ」
 雷火はしびれを切らして、未だに電話を気にしている相方を急かした。
 今回雷火に声をかけたのは自分のくせに、踏ん切りが悪い。
「日が暮れる前には着きたいんだろ」
「ごめんごめん。おまたせ」
 聡真は仕方なしといった体で携帯をポケットにしまう。
「で、あの島だよな? 今からどうやって行くんだ」
 雷火は目を細めながら、夕日に染まりかけた波間に浮かぶ、小さな影を指差した。
 これから向かうのは個人が所有する島だった。本土から七~八キロほど離れた場所にある小さな島だ。依頼人からは名を『ひなつる島』と聞いているらしいが、地図には載っていなかった。
「そこの船に乗って」
 示された先には、一艘のモーターボートが繋がれている。
「運転は」
「僕。免許は持ってるから安心して。依頼人の意向で、免許取るお金も必要経費に計上してくれるって言うからさ」
 物好きな依頼人もいるものだ。
「依頼人、お前の叔母さんだっけ?」
「そうそう。まあ、今まで交流は全くなかったから、僕も今回初めて会ったんだけどね」
 その言葉を聞いて一気に疑わしさを感じた。
「胡散臭えな。ほんとに本物か、それ」
「さあ?」
「お前な……」
「親戚っていうのが、本当でも嘘でも、別に問題ないでしょ。お金さえ貰えるならさ」
 その言いように呆れつつも納得できる面もある。自分たちはホームパーティに呼ばれたわけじゃない。仕事で来ている以上、出来る限りをするだけだ。
 突然の話だったので、依頼人の素性について下調べができなかったのは痛手だが、会ってから見極めればいい。
 しかし、依頼人が聡真の叔母と名乗ったこと以外にも、胡散臭い点はある。
「遺産相続の話し合いの場に、なんで探偵が要るんだよ。普通は弁護士とかが立ち会うんじゃないのか」
「探偵は探偵で必要なんだってさ」
 探偵が必要になる『話し合い』とはどのようなものか。あまりいい想像はできなかった。

 島に一つの船着き場から上陸し、辺りを見回す。出迎えの影はない。
 自分たちの他にも船が一艘停まっていたから、無人というわけではなさそうだが。
 島の全体は木々に覆われており、見晴らしが悪い。鬱蒼とした林の向こうに、建物の屋根がかろうじて見える。あれが今回の目的地だろう。
 案内はなかったが、人間が通れそうな道も一本しかないので、どちらに行けばいいかは分かった。
 細い道に石の階段が作りつけられている。いかにも古めかしく、所々がぼろぼろと崩れていた。一段が狭く急で、それが林の中まで続いている。
「これ、登るのかあ……」
 嫌そうな声を出す聡真を無視して、雷火は段差に足をかける。
 道端に明かりは設置されていない。日が暮れる前に登りきらないと、まともに歩けなくなりそうだ。

 果てしなく続くかに思われた石段を登りきり、ようやく屋敷にたどり着いた。
 聡真はドアベルを鳴らすだけ鳴らして、応答を待たずに門を潜る。
「いいのか?」
「勝手に入ってきてくれって言われてるから。すみませーん!」
 宣言通りに扉を勝手に開け、誰も出てこないのを確認して声を張り上げる。
 程なくして、屋敷の奥からドアの音が聞こえた。しかし、その人物はなかなかやって来ない。
「お待たせいたしました。遠いところからお疲れでしょう」
 ようやく姿を見せたのは、一人の女性だった。そのなりを見て、時間がかかった理由が分かった。彼女は車椅子に乗っていたのだ。
「初めまして、鶴嶋沙夜子と申します。わたくしも着いたばかりで、碌なもてなしもできずにごめんなさいね」
 彼女が今回の依頼人で、聡真の叔母であるらしい。想像していたよりも随分若く見える。せいぜい三十代半ばぐらいだ。こちらの訝しげな視線に気付いたのか、沙夜子は
「姉とは歳が離れていましたので」
と付け加えた。
「今この屋敷にいるのは、わたくしだけです。一族の皆は夜には到着するでしょうから、先に仕事の話を始めてもよろしいかしら?」
 近くの応接室に通され、ソファに座るよう促される。
「先日、わたくしの父……聡真さんにとっては祖父にあたる方が亡くなりました。今日から明日にかけて、遺産の分配に関する話し合いが行われます。あなた方には第三者として、立会いをお願いしたいのです」
 沙夜子が語った内容は、事前に聞いていたものと変わらず、雷火は首を捻る。
「その場に、わざわざ『探偵』が立ち会う意味は?」
 尋ねれば、沙夜子は僅かに顔を俯かせ、目を伏せた。
「鶴嶋家直系の遺産相続には、とあるきまりがございます。相続の際には、必ずこのひなつる島で話し合いが行われ、話し合いに参加したものだけに相続権が認められます。分配に関してはこの場で決まったことを覆せません」
 沙夜子から落とされた言葉は、不穏なものだった。
「そして話し合いが行われれば、毎回……死人が出るのです」
「死人?」
「鶴嶋家は呪われた一族です。一族の半数は気が狂い、正気の親族の大半が非業の死を遂げますの。莫大な遺産を前にして、人が変わったようになり、手を汚す人間が出てきます……わたくしの足は、父の姉が亡くなったときにこうなりました」
 雷火は思わず息を呑む。
「今回の話し合いには、兄や姉が参加します。わたくしからの依頼は一つです。彼らが殺人犯にならないように、見ていてくださいませ」
「先に断っておきますが、俺たちはあくまで頭を使う仕事なので、ボディーガードには向きませんよ」
「ええ、護衛の真似事は必要ありません」
 沙夜子はあっさり頷いた。
「ただこの場で、見ているだけでいいのです」
 その真意をはかりかねて、問いかけを重ねようとしたとき、玄関ベルが鳴った。
「お兄さまたちが着いたようですね。それでは、貴方がたの知恵と機転に期待しております」

 親族会議の場には、結局三人が集まった。依頼人の沙夜子、沙夜子の兄である義久と、姉の比佐子。
 義久は、雷火たちのほうを見て、あからさまに顔をしかめた。
「おいおい、まさか、親父の隠し子だとか言い出さないよな」
 沙夜子は首を振り、探偵だと紹介をする。義久も比佐子も、この場にいる探偵という存在に眉を潜めたものの、特に文句は出なかった。
「で? どう分ける。うちには子どもが二人いてね。できれば配慮して欲しいもんだが」
「それはうちだって一緒よ。兄さんのところは、もう自立してるでしょ。うちはこれから大学に行くから、教育費がかかるのよ」
 兄妹二人は、暗に未婚の沙夜子に譲れと圧力をかける。
 二人の視線が集中し、沙夜子は口を開いた。
「わたくしは、お金は要りません。代わりに、この島と屋敷をいただきたいのです」
 雷火は肩の力を抜いた。それなら、島以外の遺産を沙夜子以外の二人で公平に分ければいい。ところが、兄妹はそれでは納得しなかった。
「何、もしかして島の中に隠し財産でもあるんじゃないの?」
 沙夜子が否定しても、疑惑の目がギラギラと輝く。結局話はまとまらず、翌日に持ち越されることになった。

「ああいう人たちなんですのよ。わたくしが彼らを出し抜いたり、失踪した姉が急に現れて、財産をかっさらったりするのでは、と疑っています」
 沙夜子は眉を下げた。
「今夜はできるだけ、彼らの動きをみていてもらえますか」
 彼女は車椅子を自室の前で止め、一礼する。
「それではまた明日」
 雷火と聡真は、客室の端に部屋を取り、廊下の様子を交代で見張ることにした。

 しかし翌朝、朝食の場に沙夜子は現れなかった。
「見つかった?」
「いや、いない。そっちは」
「こっちも駄目だ。あとは」
「……外か」
 夜も明けやらぬうちに、泡のように姿を消した依頼人。
 ただの散歩だったならいい。そう願いつつも、頭の片隅では最悪の結果を既に想像できていた。いざ依頼人を見つけたとき、それがどんなに変わり果てた姿であっても、動揺しないですむように。
 全員で、屋敷の外を回る。沙夜子の痕跡はすぐに見つかった。車椅子の轍の跡が地面に残っていた。林に入り、落ち葉で車輪の跡が途切れた少し先で、車椅子が見つかった。切り立った崖のすぐ近くだ。沙夜子の姿はない。
 崖のすぐ横の木で、紺色の布がはためいている。
「あれは……あの肩掛けは、沙夜子の」
 比佐子の呟きで、その場の全員が同じ想像をした。崖から波間へ落下したなら、きっと助からない。
「まさか、お兄様が」
「そんなわけないだろう! お前がやったんじゃないのか」
 屋敷に戻った兄妹たちは、互いに罪をなすりつけ合い、罵り合う。
 そんな中、聡真が口を開いた。
「判断するのは、これを読んでからでも遅くはないと思いますけど」
 彼は注目の中、白い封筒をかざした。
『あなた方がこれを読むのは、わたくしが姿を消したあとのことでしょう。死人にお金は要りません。ただ一つだけ、この島をください。わたくしの墓標の代わりに。墓守は要りません。他には何も要りません。残ったものはこの場にいる血縁の皆さんで公平に分けてください。どうか願いを聞き入れてくださいますよう。沙夜子』
 客室の廊下は夜中に誰も通らなかったし、車椅子の近くに他の足跡は見当たらなかった。犯行が可能な人間はいない。そして、死を仄めかすような手紙。
 状況から判断しても――自殺だ。

 船着き場で親族たちを見送り、雷火と聡真は最後の船に乗り込んだ。エンジンをかけようとする聡真を制し、雷火は口を開く。
「茶番だな」
「何が?」
「……鶴嶋沙夜子が、生きているからだ」
 聡真は特に動揺を見せず、ただ微笑んだ。雷火は彼の返事を待たずに喋る。
「俺たちが島についた時点で、ボートが二艘。依頼人のものと、俺たちのものだ。依頼人は島に一人だった。車椅子であの石段を登れるわけがない。鶴嶋沙夜子は自分で歩けるんだな」
 聡真はボートのキーをくるくる弄び、視線を島へと向ける。
「それに、今この場に船が俺たちの分しかない。本当なら依頼人の分が残っているはずだ。それがないということは、彼女は既に島外か」
「……大正解。僕と沙夜子さんはグルでしたー」
 聡真は懐から、沙夜子の『遺書』を取り出す。
「これが欲しかったんだよね」
 雷火は、先程読まれた一文を思い出した。残ったものはこの場にいる血縁の皆さんで公平に。
 聡真は素性を明かさず、危険を冒さず、遺産をかっさらうことに成功したのだった。


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サークル名:眠る樹海堂(URL
執筆者名:土佐岡マキ

一言アピール
普段はミステリ(の皮を被った何か)を書いています。登場人物の腹の探り合いが大好物です。
今回は、既刊「50:50 fifty-fifty」に出てくる二人の探偵の話を書きました。(ちゃんと探偵してるかは謎)
本編の聡真はもっと残念なので、そちらも合わせてお楽しみください。

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