「あたしの絵に。花なんか描かないで」
 椅子にかけたまま牽制を投げつけてやると、相対するルーベルトの切れ長の目が訝しげに上向いた。彼はパステルを持つ手を止め、こちらへ問いを寄せてくる。
「何でわかった? 花描いてるって」
「わかるに決まってるわ。だって」
 アトリエの奥、壁際に置いた椅子へ腰を下ろし、望まれたポーズをとるティーヴァのそばには花瓶があった。習作によく花を描くルーベルトが、昨日買って帰ってきた生花が容れられている。彼はティーヴァの絵に、その花をも描き加えようとしているのだ。
「あなたの目が、あたしじゃなくてそっちにいってたもの」
 ティーヴァはそれを見過ごさなかった。彼が花だけの絵を描くのはいいが、自分の絵の中に花を添えられるのは嫌だった。
「でも何でだ? 舞姫の絵に花なんて王道だろ」
「嫌なのよ」
「ただの飾りだろ、主題はおまえで花は添えものなんだから」
「要らないわそんなの、あたしには」
 ティーヴァは言葉を切って、食い下がるルーベルトを強く見た。
「あなたの絵にだって、添えものなんか要らないじゃない」
 街でルーベルトの絵を知らぬものがいないほど、彼の作品は注目と脚光を浴びつづけていたが、その根幹は小手先の技巧でも無難さでもなく、ものの本質を描きだす力にあった。ティーヴァは踊る自分を目の前で描いたルーベルトの絵に揺さぶられ、一緒に住むようになったがもしその絵に、そらぞらしいお飾りの添えものなど描き足されていたなら、まともに目を止めることはなかったと断言できた。
 黙るルーベルトを凝視する。ティーヴァはそうするうち、苛立ちの澱が胸の底に拡がりつつあるのを感じた。自身の絵へ、勝手に花を添えられそうになった事象そのものが不満というより、自分はそういう行為が不満だと、彼がわかってくれていなかったことが腹立たしかった。
「怒るなよ」
 目線の先のルーベルトが、声と面差しを軟化させて言う。ティーヴァの不満のありようはわかってくれていなかったのに、感情の起伏であれば彼はただちにそれを嗅ぎつける。だが、
「おまえが嫌ならもう花は入れない。それでいいだろう?」
 そう説くルーベルトの声音にも、密かに苛立つ気配がにじんだのをティーヴァは肌で察していた。彼はすでに問答に飽き、中断したままの描く手を再開させたがっている。
 彼は絵が全てだった。美しいものを生きた線でかたどり、描きつくし、その本質を表現することとそれを成し得る己とを愛していた。
 その感覚は、その喜びは狂おしいほど理解できた。ティーヴァ自身、ずっと舞うことが全てだった。奏でられる音を己が身体の全部でひとつ残さず具現化し、舞踊という技術で一瞬を永遠に昇華させることと、それを成せる自分とが好きだった。そうだったけれども、とティーヴァは扱いようのない苛立ちに当惑をおぼえた。
「どうした?」
 ルーベルトの目に見られ、ルーベルトの手によって描かれるのはいつも快かった。ティーヴァは幼い頃からステージへ立ち、幾百の人々の視線を受けることに慣れきっていたが、舞う瞬間を描きとめ永久のものとして表してくれるのは、そんなことができるのはルーベルトの他に誰もいなかった。だからこそ、たとえ踊る時でなくとも彼の絵のモデルを務めるのは愉しく、いつまでも描かれていたいと思いすらした。
 しかし内側には、その愉しさだけでは生きられないと叫び燻る情念があった。それはとても無視などできない、切実で根源的な渇望だった。
 いつまでも彼に描かれていたい思いと、こんなことをしている間にもっと踊りたいと願う欲求がきつく固く縺れ、花を散らす大風のように膨れ上がる。胸にさした苛立ちはそれを駆り立てて煽り、ティーヴァの内へ何もかも引き倒してしまいたい衝動を解き放とうとする。
 てのひらを握りこんでルーベルトを覗けば、さっきかたちばかり「どうした?」と尋ねてくれたはずの彼はもう、ティーヴァの返事を待たずに手を動かしていた。彼が一心不乱に絵を描く時の、張りつめて研ぎ澄まされた呼吸の気配だけがアトリエを侵食していく。
 それでいいなんて答えてないのに、なんで勝手に描きだすのよ――喚きたくなる激情を抑えてルーベルトを睨みつけても、絵を描く彼とは目が合わない。彼の瞳の中にはティーヴァしか映っていないが、眼差しはティーヴァの本質だけに肉薄し、暴き、描き起こすことに没入している。その目に見入られるのは愉しく快いことだったが、いまはひどく許しがたい苦痛に感じられた。
 こうしている間に本当は踊りたい。ただルーベルトの望みだからおとなしく椅子へ座ってやっている。彼は「おまえは踊ってるのが一番いいな」と口癖のように言いながら、踊る姿以外も描きたがった。それは画家としての彼には、舞うティーヴァは題材としてはもの足りなかったからだ。本質が全面に発露された踊るティーヴァを描くより、麗しく座っているだけのティーヴァから、その本質を抉りだす筆致を試みることばかりが、このところ彼の画家としての興味を刺激していた。
 しかし、ティーヴァは自分を押し殺して男のそばにいるなど、本来我慢ならない性質だった。いつだって、自己と自己の芸術を一番に選んできた。だから自分の絵に花を描くなと注文をつけもするし、その気になれば今すぐ立ち上がり、ルーベルトが嬉々として進めている絵を眼前でぶち破ることだって屁でもない。
「……ルー、」
 だが、それをしないのは。
 花瓶に咲く花を眇める。ティーヴァはルーベルトが、これまでに何度も花と女を描いていることを知っていた。舞姫に花の構図が王道なのではない、花と女が王道なのだ。そんなお決まりの羅列の中に、自分を後から加えられるのが嫌だった。けれど同時に、そこには彼に対して我を張り通すことへの、小さな不安があった。
 彼と出会ってしまう前の自分なら、そんな瑣末な不安などおぼえなかった。全ては自己の芸術の表現にあり、いかにそれを為すかだけを注視していた。誰かを失うかもしれないと恐れたことも、ひとの心が自分から離れる不安を抱えたことさえもなかった。
「……どうした?」
 いつの間にか、ひどく優しい双眸に見つめられていた。その目はもう画家としての目ではなく、彼の男としての目に戻っている。ルーベルトはこの眼差しで、美しいもの純粋なものを優しく見いだしては、画家の瞳で峻厳に苛烈に描ききろうとする男だった。
「なんでもないわ」
 だから、ティーヴァは望まれたポーズのまま、まっすぐにルーベルトを見据えて微笑を浮かべた。彼のどちらの目に屈したとしても、自分が音を上げてしまえばこの男はすぐに他の美しいものを見つけるのだ。あの晩ティーヴァが彼に見つけられたように。
 ティーヴァは目にしてもいた、寝室の収納にしまわれた油彩の一枚を。そこにはリラの小枝を持った女が描かれ、女は今しも動いて喋りだしそうな体温を感じさせた。ああ、もし、花を描き足すことを認めたら、自分もこんなふうに描かれるのかと思うと、怒りとも妬みともいえない小暗い思念が胸へ渦巻いた。
「描いて。続き」
 微笑みのうちに告げ、ルーベルトが再び画家の目を開くのを確かめて、ティーヴァはその目を強く見つめ返した。ルーベルトの絵が、描かれたものの本質を炙りだすなら。どうか今日の自分が絵の中で、彼を、見るものを、永劫に鋭く激しく凝視しつづけるように。
 ティーヴァはそう念じ、やり場がわからない渇望と不安を全て、視線のうちへ溶かしこんだ。

(了)


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サークル名:花月(URL
執筆者名:猫宮ゆり

一言アピール
今回、テキレボへは委託で初参加させていただきます。この「相剋」は一次創作小説「南風」の番外編で、舞姫と画家の話です。この物語のスピンオフでいろいろな所へ参加しています。舞姫とギタリストの姉弟を主軸に、愛と芸術にまつわることやひとの気持ちに永遠はないことなどを表現するのが好きです。

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