模造の花は贈れない

博士Dr.、見て欲しいものがある」
モニターの隣に設置したスピーカーから流れる合成音声に、白衣の背中が僅かに傾ぐ。
「どうした、七号エプタ
博士と呼ばれた気怠げな風貌の女性は、耳元の高さで外側に跳ねているショートヘアをもそもそと掻くと、すっかり冷めたコーヒーを喉に流し込んだ。
初めて七号が声帯を形作り、その声が博士には耐え難い種類のものであったために筆談を強制したのは、果たしていつの頃だったか。
次第に目で文字を追うのも面倒になって、別の声を用意してやろうと工夫を重ねた結果が、このどこか人間的でありながら無機質さも感じさせる音律だった。
今ではすっかり聞き慣れたこの合成音声は、モニターに映る赤い文字を監視カメラで撮影し、市販の画像認識ソフトウェアや自動音読ソフトウェアなどで流しているものだ。
「見て欲しいものが…」
「だから、どうしたと聞いている」
モニターを一瞥もせず、博士は七号に要件だけを述べるように促した。
口直しに新しいコーヒーを淹れようとケトルのスイッチを入れながら、彼女は内心で舌打ちをする。
筆談をしていた頃、博士から話しかけられた時に返事をするという形でしか発話を許されないという不平等なコミュニケーションに対して、七号が抱えていたフラストレーションの大きさは計り知れない。
この新しい”声”を得てからというもの、七号は今日の天気がどうだの朝は何を食べたのかだのと、些細な理由でいちいち話しかけてくるようになって、それが博士には少々鬱陶しかった。
だからといってすげなくあしらったり、無視を決め込もうものなら露骨に機嫌を損ねるのだ。
「博士…」
機械から流れる合成音声は、しかし明らかな不満の感情を含む音律を紡ぐ。
文字の大小や線の太さなどで音を調声するソフトウェアの機能を、七号は完璧に使いこなしていた。
「はいはい分かった、見ればいいんだろう」
博士が譲ったのは、いつもの事といえばいつもの事だ。
声を荒げて喚いたり執拗に駄々を捏ねる程度ならば、モニターを閉じれば済む話。しかし七号は雨ざらしの段ボール箱に入った仔猫のような声を出すので、聞かぬふりをし続けるのはいくら博士が非情であったとしても、寝覚めが悪い。
仕方なく身体を捻ってモニターに目線を投げると、見慣れた人型が目に飛び込んできた。
土粘土を思わせる肌色めいた灰色に、桃色に近い紫の瞳が眠たそうに並んでおり、針金のような光沢を放つ髪色は僅かに青みがかった銀。
人の姿を模した異形だ。四角い画面に映る七号の人工物の如き色彩は、それが少なくとも自然から産まれた生物ではあり得ない事を全身で物語っている。
「いつものお前だな、七号。それで何を見ろと…ん?」
ふと、博士は七号の胸元で握られた手を彩る色が、いつもと違って見える事に気がついた。
元より七号の腕は四つ存在し、そのうち二本は取り外して対となる手に手袋のように被せることが出来る。
七号の筆談にも一役買っているその腕は血のように深い赤色をしているはずなのだが、七号が握っている赤色の塊はそれではない。
まるで血濡れの手袋のような毒々しいほどの鮮やかさも、歪ですらある瑞々しい光沢も無い。その赤は、七号という異常な色彩の持ち主の手に握られている事がかえって不自然なほどに、博士の世界にもありふれた赤だった。
花の形をした、その懐かしい色彩の名前を彼女はよく知っている。
「カーネーションじゃないか」
「今日は母の日だって、教えて貰ったから」
博士はわずかに瞠目した。博士自身もすっかり忘れていた、まだ七号が今ほどに人間らしい外見をしていなかった頃に暦と休日の事を教えたのを、勉強嫌いの七号がちゃんと覚えていた事に対して、ではない。
モニターの向こう、七号の居る空間は外界から閉ざされている。七号を除いて、博士の関知せぬ方法でその中にものが持ち込まれた事は一度として無い。
今回初めての例外なのかとも思ったが、七号の手に握られた赤い花に本来あるはずの葉や茎が見当たらないので、すぐに一つの可能性に思い至った。
「そうか、”腕”の機能で作ったのか。どうりで葉や茎が無い」
肯定を示すように、七号は首を縦に振った。
モニターに浮かぶ赤い文字も、七号の赤い腕によるものだ。まだ七号が人間の形をしていなかった頃、頭頂部から耳のように生えていたその腕は、最初こそ自分の体に赤い線を引けるだけの代物だった。
しかし七号が成長するに従ってその機能は少しずつ拡張し、今では指一本動かさず空中に赤い字幕を書けるようになっている。
博士は七号が腕の機能であやとりのような事をして遊んでいるのをたびたび見かけたことがあったが、七号の手に握られている赤い造花の実在感は、それらとは比べ物にならない。
「素晴らしい出来だ。将来は芸術家になれるかも知れないな」
「そうじゃなくて」
博士にしては珍しく、それは心よりの賛辞だったのだが。七号はそんな事はどうでもいいとばかりに、モニターの向こうで花弁のみのカーネーションを突き出した。
「これを、博士に」
モニターの赤い文字に少し遅れて、心なしか緊張したような調子の合成音声が鼓膜を揺らす。
その花を博士が受け取る事はない。それが七号には分かっているから、続く言葉は無かった。贈る事は叶わずともただ見せたかった、という事なのだろう。
案の上、博士の返答は冷たかった。
「そんなものを私に見せて、私にどうしろというんだ、七号」
「でもこれ、博士に…」
「それは母の日の贈り物だ。私はお前の母親ではないし、お前も私の娘ではない」
冷たい宣告だったが、七号にさほど衝撃を受けた様子は無い。
博士は七号と出会う10年以上前、義理の娘を亡くしている。空想の物語を作るのが大好きで、何冊も落書きノートを作っては『漫画家になるんだ』と言って博士にアイデアを聞かせるような娘だった。もし生きていたら、七号とは仲良くなっていただろうか。そんな事が分からないくらいには、彼女と娘には隔たりがある。
その隔たりを埋める機会は永遠に失われた。博士はその後悔を、七号で満たすような真似はしたくなかった。
彼女が何処の誰が作ったとも知れない正体不明の端末を拾ったのは去年の夏。
電源も無しに起動したその端末のモニターに映っていたのは、白い正方形の空間と、空間の中央に存在する卵型の捩じれとしか形容のできない、何かだった。
その捩じれの中から生まれた白い胎児のような異形が七号だ。モニターの向こう側にある七号の空間がこの世界の何処にあるのか、そもそも七号やその空間が物理的に実在しているのかも分からない。
博士に分かっているのは、七号が人間ではないという事と、七号が精神的には無垢な子供でしかないという事だった。
「博士は、私が嫌い?」
「知らん」
即答。
絶句する七号を余所に、博士は押し入れの中を覗いて探し物を始めてしまった。
実のところ、彼女は七号が嫌いだった。怠け者で寂しがり屋で我が儘。何よりも死んだ娘そっくりの肉声と、生まれたばかりの頃の七号の姿がある物に酷似している事が許せなかった。
偶然の一致かどうかは分からないが、娘の遺品に描かれた落書きに瓜二つだったのだ。それに気づいた時、最悪の想像が彼女の脳裏を掠めた。
落書きから生まれた化物が娘を差し置いて命を得て、娘に成り代わろうとしているのかも知れない。
そう思うと臓腑に暗い熱が灯るのを止められなかった。合成音声も、今の七号の姿も、全ては博士の拒絶の産物だ。もし七号が自らの身体を粘土のように捏ねて今の姿を作る事が出来なかったのなら、端末ごと捨ててしまったかも知れない。
今の博士と七号の関係はいつ故障するとも知れない端末による通信と、何も知らない子供に『死んだ娘を思い出させるから』などと言って理不尽な憎悪をぶつけて何の意味がある、という博士の危うい自制心の上に成り立っている。
「好き嫌いは関係ない。七号、前にも話した事だが、お前には選ぶ自由があるべきだ。自分の目で外の世界を見て、お前の居場所、親、友達、或いは恋人を選ぶ自由が。その花はいつかお前がその部屋を出る事が出来たら、お前が自分で選んだ母親に渡すといい」
それは有り体に言えば『母の日の花など受け取らん、さっさと自立して縁を切らせろ』という事だった。
目線を外し、見慣れない機械の埃を払って四色の板を差し替える博士に七号は問いを投げる。答えなど、聞くまでもなく分かっているけれど。
「博士じゃ、駄目?」
「お前の事を我が子のように愛せると断言出来ない人間を、他に誰も居ないという理由で受け入れるのは選んだとは言わないだろう?」
「はい…」
予め拒絶を予想できたとして、それに耐えられるかどうかは別の話。合成音声が悲しそうなトーンを紡いだ。それは恣意的に文字を調声しなければ出来ない芸当だ。七号のこういう所も、博士は心底嫌いだった。
机の上に置いた機械のアダプタをカメラに繋ぐと、彼女は話題を打ち切りにかかる。
「いつかお前の母親になってくれる人が見つかるだろう。私がその人の代わりに花を受け取る事は出来ない」
だから話はこれで終わりだと、博士は印刷機のスイッチを入れた。
「あ、それ…!」
「今はこれで我慢しなさい」
「…はーいっ」
弾みのある合成音声とインクジェットの駆動音を背後に、博士は憂う。こんな事で簡単に機嫌の直ってしまうこの馬鹿者は、将来悪い人間に騙されやしないだろうか。
淹れようとしていたコーヒーの事は、すっかり忘れていた。
印刷が終わり、博士の机に置かれる自分の写真をモニター越しに眺めながら、異色の人型は想う。
博士、いつかこの部屋を出てあなたに会えたら、その時はもう一度、この花を受け取ってくれるかな。
次の春は遠く、季節がいくつ巡ればその日が訪れるのか。
今はまだ、誰にも分からない。

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サークル名:藤墨倶楽部(URL
執筆者名:浦島草

一言アピール
初めまして、とご挨拶するべきでしょうね。ペンネームを明かしての文字作品はこれが初になりますので。創作サークル藤墨倶楽部、絵描き?の浦島草(旧名:徒茜)です。

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