身から出た花

 その絵を見て、思わず息を呑んだ。
 暗闇の中に浮かび上がる白い女性の身体。その胸からは顔よりも大きな白い花が咲いている。身体中に根が張り、唇からは褪せた色の細長い葉が覗いていた。
 その絵は確かに、写真では写しきれない現実感と幻想を纏っていた。

 俺がこのギャラリーに来るのは初めてのことではない。ギャラリーとカフェがひとつになった様な所で、何度かここで募集していた写真の企画展に出展側で参加することもあったし、個人で写真の展示をしたりすることもある。今日ここにやって来たのは、再来月に予定している展示会のダイレクトメールを置かせて貰うためだった。
 このギャラリーは不定休で、何かの展示が開催されている時しか開いていない。なので、オープンしている日付だけ見て今日来ると決めて、ついでに開催中の展示も見ていこうと軽い気持ちで扉を開けた。
 そうしたら、目の前に花に寄生された女性の絵があったのだ。
 絵の迫力に気圧されて、しばらく見入って、入り口近くにあるカウンターに置かれたダイレクトメールを見て作家の名前を確認する。ああ、そう言えばこの作家の名前には見覚えが有る。今まで展示会期間中に来たことはなかったけれど、このギャラリーで時々個展をやっている人だ。
 ふとカウンターのすぐ側にあるテーブル席を見ると、ひとりの大柄な男性が椅子に座って居る。首からは今回の展示会の作家である事を示す札を下げていた。
 彼は随分とおおらかそうな顔つきをしていて、手元にあるカクテルの入ったグラスを口に運ぶ動きも大雑把なように見えた。
 本当に彼が、壁に掛けられている緻密で幻想的な絵を描いたのだろうか。それとも、はじめに目に入ったあの絵だけが飛び抜けて緻密だったのだろうか。俺は彼の後ろを通って、ギャラリー内を一周する。どの絵を見ても、緻密で繊細なタッチで、病的な儚さを感じる。少し猫背ではあるけれども、病的な要素が全く見られない彼とは全く印象が一致しなかった。
 興味が湧いた。
「相席良いですか?」
 俺はそう彼に声を掛けて、彼と直角の位置にある、赤い長椅子に手を掛ける。
「もちろん、構いませんよ」
 にっと笑った彼がそういうので、俺は少し長椅子を引いてそこに座った。
 彼の手元を見る。飲んでいるのはおそらくざくろのカクテルだろう。俺もお酒でも飲もうかとメニューを見ると、開かれていたページには、展示会期間中のみの限定メニューが載っていた。粉砂糖がかかったガトーショコラに真っ白いクリームが添えられている。ケーキの周りには小さな赤い薔薇とその花弁が散らされていた。セットになっているお茶は真っ青なお茶で、蜂蜜を入れるとびっくりすると書かれている。
 なるほど。と、口の中で呟く。お茶だけ正体不明だけれども、ケーキはきっと美味しいだろう。このギャラリーで出されるメニューは、どれも美味しいというのを知っているのだ。カウンターにいるスタッフに声を掛け注文をする。前払いで会計を済ませると、スタッフはすぐさまにキッチンへと入っていった。
 キッチンで鳴る音を聞きながら、すぐ側に座っている作家に声を掛けた。
「初めまして。素敵な絵を描かれるんですね」
 すると彼は、照れたように笑ってこう返す。
「ありがとうございます。どれも手を掛けた作品なので、そう言って下さると嬉しいです」
 そのやりとりをきっかけに、話を続けていく。このギャラリーにはよく来るのかという話や、展示会をやったことは有るのかと言うこと、それにどんな作品を普段作っているかというそんな話をした。
 彼は見ての通り、精密で繊細な絵を描くことが多いらしく、驚いたことに、デジタルで描いているのではなく、キャンバスに油絵の具で描いているのだという。このギャラリーには何度も来ているし、それなりに色々な作品も見たつもりだった。けれども、油絵であんなに繊細な絵が描ける物だとは思ってもいなかった。
「そちらは、どんな物を展示してるんですか?」
 彼の問いに、そういえば。とここに置かせて貰うつもりで持ってきたダイレクトメールの束を取り出す。その中から一枚取りだして彼に見せる。
「写真の展示をしているんですよ。こんな感じの」
「えっ、これ、ちょっと間近で見て良いですか?」
 驚いた様子の彼にダイレクトメールを渡す。彼は俺が撮った写真の載ったダイレクトメールを、顔の側に近づけてまじまじと見ている。
「は……はー、すごい。写真でこんな風に撮れるのか。
はー……すごい……」
 俺はこれでもプロのカメラマンだ。だから写真の腕はそれなりにあると自負しているけれども、自分の写真を見せてここまでの反応が返ってきたのは初めてかも知れない。思わず顔が熱くなり、口元が緩んだ。
 そうしているうちに、スタッフがキッチンから出て来てケーキのセットを持ってきてくれた。目の前に置かれたガトーショコラを、添えられていたフォークで切って、たっぷりとクリームを付ける。甘くて軽いクリームとほんのり苦くて重いガトーショコラが口の中で混じり合う。思っていた通りに美味しい。口の中の物を飲み込んでから、青いお茶に口を付ける。不思議な味だ。どことなく草っぽく、けれども青臭くはない。一体何のお茶なのだろう。
 すぐ側に座っている彼がにやっと笑う。
「そのお茶は蜂蜜を入れた方が美味しいですよ」
「そうなんですね」
 そういえば、メニュー表には蜂蜜を入れるとびっくりすると書かれていたけれど。そう思いながら、小さな器に入った蜂蜜をとろりと入れる。すると、青いお茶が蜂蜜に触れた部分からピンク色に変わっていった。
 驚いて思わす目を丸くする。すると、彼が愉快そうな声でこう言った。
「そのお茶はマロウブルーっていう、青い花のお茶なんですよ。
酸性の物を入れるとピンク色に変わる」
「はー、紫キャベツの汁みたいな」
「原理的には同じですけどね?」
 種明かしを聞いて感心しながらスプーンでお茶を混ぜると、完全にピンク色になった。
「ピンク色になったこのお茶に、薔薇の花弁を浮かべて飲むのが好きなんですよねぇ」
 それを聞いて、彼と彼の作品との繋がりが見えたような気がした。そうだ、人は見た目だけでは判断出来ない。善くも悪くも、内心なにを抱えているかはわからないのだ。
 彼の言う通り、ガトーショコラと一緒にお皿の上に乗っている薔薇の花弁を数枚、フォークで掬ってお茶に浮かべる。微かに甘い花の香りが立った気がした。
 お茶に口を付けながら、改めてギャラリーを見渡す。花に寄生された女性たちから、苦痛や哀しみは感じられない。それは敢えて彼が描かなかっただけなのか、それとも描ききれなかったのかはわからない。
 薔薇の花弁を飲み込んで訊ねる。
「花が好きなんですか?」
 すると彼は、照れたように笑ってこう言った。
「花が好きなのはもちろんなんですけど、花がに合う女の子が好きで」
「あー、なるほど」
 花が似合う女の子と聞いて納得した。彼はただ単に、好きな物を混ぜただけなのだ。
 ふと、彼が難しそうな顔をする。
「でも、おかしいんですよね」
 なにがだろう。不思議に思って次の言葉を待っていると、こう続いた。
「もっと明るい絵を描いてるつもりだったんですけど、なんかこう、改めて完成したのを見ると仄暗いというか」
「ああ、その辺りの塩梅難しいって言いますよね」
 描いてる側としては案外自覚無くやってしまう物なのだなと思いながら、ガトーショコラを口に運ぶ。またギャラリーを見渡して、不思議そうな顔で頬杖を突いている彼を見て、一瞬目を疑った。彼の首の後ろから、真っ白く大きな花が咲いているように見えたのだ。
 思わず唾を飲み込む。それから瞬きをしてもう一度そこを見ると、当たり前のように、花など咲いていなかった。
 こんな幻覚を見てしまうなんて、そこまで自分は彼の作品に気圧されたのだろうかと思う。けれどもそれも仕方ないと言えるような作品だし、今日彼の絵を見ることが出来たのは幸運だろう。
 それからお互い少しの間黙り込んで、俺はケーキを食べるのに集中して、お茶まですっかりお腹の中に納めてから、ぽつりと呟いた。
「俺もそのうち、花の写真の展示会やりたくなってきたなぁ」
 それを聞いた彼はくるりと俺の方を向いて、嬉しそうに言う。
「是非やって下さいよ。観に行きますんで」
「ほんとですか? うれしいなぁ」
 どんな花の写真を撮るかとか、会場はどこにするかとかふたりでまた話が盛り上がって。
 ふと、彼が俺を見て驚いたような顔をした。
「どうしました?」
 彼は瞬きをして、苦笑いをする。
「あなたの胸に、花が咲いてるのが見えて」


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サークル名:インドの仕立て屋さん(URL
執筆者名:藤和

一言アピール
現代物から時代物まで、ほんのりファンタジーを扱っているサークルです。
こんな感じの少し堅めの物からゆるっとした物まで色々有ります。
基本読みきりですが、いっぱい集めるといっぱい楽しいよ。

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