愛の花は橙に染まる

 朝。小気味いい音とと共にカーテンが開けられ、部屋に明るい陽が差し込む。その眩しさに、閉じていた目を更にギュッと閉じて、リーナは掛け布団を頭まで引き上げる。
「お嬢様、朝ですよ。起きてください」
 そんなリーナの姿に小さく笑いながら、リーナ付きのメイドであるリオンが声をかける。けれど、リーナは聞こえない振りをして、すやすやと再び寝息を立て始める。
「さあさあお嬢様、いつまでも寝ているとお散歩の時間が無くなりますよ」
 起きてくださいとダメ押しの一言を追加して、リオンは勢いよくリーナの掛布団を剥ぐ。年もリーナに近く、名前も似ているからとリーナ付きに選ばれたこのメイドは、リーナに対して容赦がない。姉がいたならこんな感じだろうかと思いつつ、リーナはゆっくりと体を起こす。
「ごういん……なんでおさんぽ?」
「エンデ夫人のご指示ですよ。チューリップが咲いたので、一緒に……」
「本当!? 咲いたのね!」
 リオンの言葉を途中で遮って、リーナはいそいそとベッドから降りる。やれやれと言った感じで肩をすくめて、リオンは顔を洗う用のボウルと水差しを差し出す。顔を洗い、着替えを済ませて髪を整える。これでいいかなと鏡を覗き込んでいると、櫛を持ったリオンが後ろからやってくる。
「お嬢様、寝ぐせが直っていませんよ。今日は学校ですし、まとめてしまいましょうか」
 そう言うとリオンはリーナの髪を丁寧に梳いて整え、器用にまとめていく。まとめた髪をリボンで結って、できましたよと声をかける。
「今日はお庭で朝食だそうですよ」
 リーナにストールを羽織らせてそう言うと、リオンはリーナを送り出す。使用人の手は借りず、食事は家族で取るのが、エンデ家の習慣だ。週に一度は、メイドや使用人達も混ざって食事をとるが、今日はその日ではない。リーナは部屋を出ると、庭の真ん中あたりにあるテーブルや椅子の置かれた場所へ向かう。
「おはようございます。お父様、お母様」
「おはよう、リーナ」
「おはよう、ようやく来たわね」
 リーナにそう声をかけて、エンデ夫人はお茶の用意をする。暖かい春の日差しと朝ごはんのいい香りを胸いっぱいに吸い込んで、リーナは席に着く。小さな広場のようなこの場所からは、庭の殆どが見渡せる。リーナはぐるりと周りを見回して、楽しそうに笑う。
「いつ見ても綺麗。秋に頑張ったかいがあったわ」
「そうだなぁ。去年はアルベルト君にも手伝ってもらって助かったな」
「楽しかったって言ってたよ。あ、ねぇ、チューリップが咲いたんでしょう? 今日、アルを呼んでもいい? 一緒に見たいわ」
「お前の好きにしなさい」
「ありがとう、お父様」
「さぁ、朝ごはんにしましょう。食べ終えたら、ゆっくり見て回りましょう」
 エンデ夫人の声を合図に、三人は食事を始める。春の陽だまりの中、いつもと変わらない朝の風景に、笑顔がこぼれていた。
朝食を終えて、三人並んで庭を歩く。去年はこうだったとか、今年はどうだとか、今度はもっとこうしようなんて話をしながら、春に合わせて整えられた庭を見て回る。ぐるりと一周するように回って、最後に門の近くにある花壇に立ち寄る。この花壇には、去年の秋にリーナと恋人のアルベルト、そしてエンデ夫人の三人が植えたチューリップが見事に咲き誇っていた。
 チューリップは様々な色の花を咲かす。それを楽しみに、特に選別などせずに植えられたはずの花壇は一面真っ白だった。しいて言えば、端の方だけ紫のチューリップが咲いていた。
「珍しいこともあるものねぇ」
 首を傾げるエンデ夫人に、リーナは楽しそうに笑いかける。
「でもとても綺麗よ、お母様。なんだか、ウェディングドレスとブーケみたいじゃない?」
「そうねぇ」
「ねぇ、この色のチューリップはなんて花言葉なの?」
「え、そうね。紫は、不滅の愛。白は……なんだったかしら?忘れてしまったわ」
「紫の部分はハートの形になっているんだな」
 白の花言葉が聞けなかったことが不満だったのか、微妙な顔をするリーナにエンデ卿が声をかける。
「私とアルで植えたのよ。植える時に、お母様がチューリップは愛の花だと話していたから、ハートの形に植えてみたの」
 可愛いでしょうと笑うリーナの頭をひと撫でして、エンデ卿は座り込んでチューリップを見ていたリーナを立ち上がらせる。
「さぁ、遅刻するよ。行っておいで」
「はい、お父様。いってきます」
 門の所で控えていたリオンから鞄を受け取って、リーナはエンデ夫妻に手を振って学校へと向かう。
 リーナを見送ったエンデ卿は夫人に向き直って、声をかける。
「君が花言葉を忘れるとは思えないのだが?」
 エンデ夫人は困ったように笑って、チューリップに目を落とす。
「白いチューリップの花言葉は『失われた愛』なんです。恋人との幸せを想うあの子には、ふさわしくないでしょう?」
「なるほど。しかし、ウェディングドレスはまだ早くないか?」
「あなた。あの子ももう十五ですよ。そろそろ、そういう話も出てきますわ」
 娘の将来を想って眉間にしわを寄せるエンデ卿を置いて、エンデ夫人は屋敷へと戻っていく。学校へと足早に向かう娘の背中を、エンデ卿は複雑な顔で見つめていた。
 学校へ着いたリーナは、先に来ていたアルベルトの席へと向かい、一緒に植えたチューリップが咲いたのだと嬉しそうに報告していた。放課後、お屋敷に寄って一緒に見ようとデートの約束をして、リーナはその日の授業を浮足立ったまま終えた。
 授業を終えた二人は、手をつないで街中を歩く。
「今年はとても珍しい咲き方をしたのよ」
「楽しみだね。秋に手伝ったかいがあったよ」
「本当に。この季節が一番好き」
「あ、お嬢様!」
 のんびりと歩いていると、屋敷の方向からリオンが駆け寄ってくる。
「リオン。どうしたの?」
「お嬢様、例のパーティーは今日だそうですよ」
「え? 本当?」
「今お屋敷は準備で大忙しですよ。お約束通り、ちゃんと知らせに参りました」
「ありがとう。リオン」
 準備の途中で抜けてきたというリオンは、それだけ言うとそそくさと屋敷へ戻っていく。
「パーティーっていつもの?」
「えぇ、そうよ。いつも突然開くでしょう?だからリオンに開く日がわかったら教えてって言ってあったの」
「ふぅん。どうして?」
「この季節はね、二人の結婚記念日なの。今年は、二人になにかお祝いあげたいなと思って」
「あぁ、それでこの季節にパーティー開いているんだ」
「えぇ、そうなの。春のお祝い。毎年二日間やるから、明日は、街の人にも招待状が行くんじゃないかしら?」
「そうだね。楽しみだなぁ」
「あ、ねぇアル。そういう訳だから、少し寄り道してもいい?」
「もちろん」
 まっすぐお屋敷へ向かっていた二人は向きを変えて、商店が並ぶ方へと歩いていく。雑貨店や花屋などを覗いて、あぁでもないこうでもないと言いながら、贈り物を選ぶ。
「うん。これにするわ」
 何件目かの雑貨店で見つけたチューリップの掘られた懐中時計を手にして、リーナは満足そうに微笑む。が、値段を見て顔がゆがむ。手持ちでは、少々足りない。一つなら買えるが、二人に一つずつと思うとそこそこの値段になる。どうしようかと首を傾げていると、アルがひょいともう一つの懐中時計を手にする。
「じゃあ、こっちは僕からで。僕もお二人のお祝いしたいし」
 ニコリと笑うアルに惚れ直しつつお礼を言って、それらを包んでもらう。
「喜んでくれるかな?」
「大丈夫だよ」
 選ぶのに時間がかかってしまい、少し遅くなってしまった。ゆっくりと沈み始めた太陽を背に、二人はお屋敷への道を急ぐ。
 お屋敷へ近づくにつれ、空がオレンジ色に染まっていく。
「夕方近いけど、夕日にはまだ早いような」
 ぽつりとアルベルトが呟く。リーナも首を傾げる。吹いてきた風が妙に暖かくて、二人は更に歩を早め、門をくぐる。
 真っ白なチューリップが、橙に染まっていた。お屋敷も、空も、目に入る物全てが橙だった。その光景を、リーナとアルベルトは呆然と見つめる。チューリップの咲く季節とは思えない程の暑さのせいか、リーナの頬に雫が伝う。
 おもむろに、リーナが歩き出す。ふらふらと燃える橙に向かって歩いていき、それに触れようとするリーナを、慌ててアルベルトが止めに入る。泣き叫び、歩くのを止めようとしないリーナを無理やり敷地の外へと連れ戻す。
 燃え広がる炎を前に、十五の少年少女ができる事なんて、何も無かった。
 炎が落ち着いたのは、数日後のことだった。生存者は屋敷に居なかったリーナだけ。敷地内の殆どの物が焼け落ち、唯一門の近くにあった花壇のチューリップだけが残っていた。
 行く当てのなくなったリーナを、アルベルトは自分の屋敷に迎え入れることにした。自身のメイドとして迎え入れる事は本意ではなかったが、それが、親から許された唯一の方法だった。
 多少のことはできるとは言っても、自分と同じく貴族の子として生まれ育ったリーナに、更に辛い思いをさせることは容易に想像できた。けれど、それ以外の選択肢を、アルベルトは持っていなかった。それを告げた時、リーナはちょっと驚いたような顔をしていたけど、ありがとうと言って笑った。
「アルが居てくれたら大丈夫」
 そう力なく笑うリーナに、アルベルトは愛していると囁くことでしかできなかった。
 何もなくなった空間に、春の暖かい風が吹いて、リーナの長い髪を揺らす。けれどその風も、リーナの濡れた頬を乾かしてはくれない。陽だまりの中立ち尽くすリーナを、アルベルトは後ろからそっと抱きしめる。今のアルベルトにできるのは、それくらいだった。リーナは振り返らない。ただ、回された腕をギュッと掴む。今感じるこの悲しさを、無力さを、悔しさをきっと二人が忘れることはない。
 紫のチューリップが、静かに揺れていた。


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サークル名:風花の夢(URL
執筆者名:蒼依結那

一言アピール
戦え少年少女たち!と叫びながら、足掻いてもがいて幸せを掴みとっていくお話を書いています。現代からファンタジーまで幅広くお取り扱い。シリアスだったりほのぼのだったり、振れ幅激しいです。刀剣乱舞二次創作始めました(清さにです)。

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