花びらは、夜に降る

 白い花びらが、夜の闇を染めていく。夜の底は白く、綺麗ねと君が呟く言葉も溶けてゆく。花びらの落ちはじめを見ようと見上げる彼女の輪郭が陶器のように滑らかで、その輪郭を夜がなぞっていた。身体の奥が、儚さに締め付けられるように痛む。
 僕たちは白い花びらの正体を知らぬまま、ただ夜のなかに取り残されていた。

 ***

 死の花びらと、彼らは言う。
 夜毎に降るその花びらは、街を覆い、停滞する濁った空気を巻き込み、降り積もってゆく。そして、私たちの体内にするりと入り込み、どろどろと内側を溶かし、蝕んでゆくのだった。
「最後に見る景色は何が良いだろう」
 暖かい部屋の中で、その花びらの描く軌跡を窓越しに眺めながら彼が尋ねる。黒い襟足から覗く細い首すじは簡単に折れてしまいそうにおもえた。甘やかさなぞ、一つも持たないその問いは諦めと僅かな希望を孕んでいる。
「街の外の景色がいい」
 何度となく繰り返されたその応えに、彼はため息をともに一瞥を返してくる。そこまでが、いつものやりとりだ。私たちは飽きもせず、その問いかけと返答を繰り返す。彼は私に諦めを望み、私は彼に未来を望む。どちらも変わって欲しいことを望むのに、歩み寄るには程遠い。
「どうして、外がどうなっているのか見ようとしないの? 助かる手立てだって、あるかもしれないのに」
 あくまで冷静に、静かにその言葉が聞こえるように一音一音をその場に置いていくように告げる。しかし、彼にとってそれは聞きたくも話したくもない話題に過ぎない。
「街の外だって、今はどうなっているか分からないんだ。戻ってきた人など一人もいやしない」
 白い花びらは、私たちから連絡手段を奪う。通信は繋がらなくなり、この街は孤立した。山の向こうに広がる外がどうなっているのか、私たちは知らずにいる。助けを呼びに行くと出て行った人々も、誰一人として帰っては来なかった。その理由をわたしたちは知らない。
「でも、このままでいても、わたしたちは花びらと共に眠りにつくしかないじゃない」
 分かっている、と小さく吐き出された彼の声が弱々しく響いた。その声は、窓をすり抜けることもなく、部屋の隅へと転がってゆく。私はその様子を諦めた瞳で、ただ眺めていた。

 ***

「曼珠沙華のようだと思わない?」
 黒い髪の毛に舞い降りた花びらを払うこともなく、彼女が告げた。紅を差した口角を上げるその様子が、死神の笑みのようにも見え、背筋を冷たいものが伝う。
 外に出たい、と甘える彼女に応えるように、私たちは白い花びらのなかを歩いていた。花びらが降るようになってから、夜のそこは明るさを増していた。白夜、という言葉が似合うとおもう。
「曼珠沙華?」
 問い返すと、そう、と素っ気なく返される。彼女に目に映るのは、夜に浮かぶ白だけ。
「この空の何処かで、天上へと繋がる扉が開いていて。そこから花が降り注ぐの」
 暗闇の中に浮かぶ、開かれた扉。その扉からは花びらが空へと踊り出る。天上の花びらはこの街を覆い、浄化してゆく。きっと、扉の向こう側には、白い花が咲き乱れているのだろう。
「ねえ、素敵じゃない?」
 何かを企んでいるかのように笑う彼女はふわりと空から降る花びらを摘まむと、舌の上にちょこんと乗せた。その花びらが舌の上で雪のように静かに溶けてゆく。瞳を閉じた彼女はふるりと睫を震わせて、嬉しさを隠しきれないように笑みをこぼす。
 花びらを食むことは、眠りにつくまでの時間を計る砂時計の砂を落とすことと同義であることを、私は知っていた。

 その花は、甘いのだと言う。
 何がきっかけで始まるのか分からないそれは、ある日突然やってくる。空から降る花びらが無性に食べたくなり、その花びらをお菓子のように摘んで食べてしまう。花びらを食べる間隔は次第に短くなってゆく。その果てで、彼らは目覚めることのない眠りにつく。
「お腹は、空かないけれど、ただ、食べたくなってしまうの」
 彼女はそう言って、私に枝垂れかかるように体重を預けてくる。彼女がひどく軽く、そして温度を持たないことに気が付いてしまう。
「もう近い?」
 彼女が眠りに着くその日までの、残りの時間はもう僅か。聞くまでもなく、そんなことは分かっていた。

 彼らは、ある日、空から降る声を聞くのだと言う。彼らを呼ぶ優しい声、子守唄のようなやわらかな声に呼ばれるまま、白い花が咲き乱れる場所に辿りつく。花に埋もれるように眠りのそこへと落ちてゆき、そして白い花へと姿を変える。
「もう、おやすみを言う頃合いみたい」
 ひとりぼっちは嫌だと、私の部屋で過ごしていた彼女が寂しそうに呟いた。元から肉付きの良かったわけではない彼女の身体はますますほっそりとしていた。体温を持たない冷たいゆびさきを握りしめる。
「行ってしまうの?」
「わたしが花になる時は、あなたに合図を送るから。わたしのこと、時々は思い出してね」
 そう言うと、私の小指を絡め取り、約束と呟いた。その指を放したくなくて、私はなにも言えずに頷くことしかできなかった。ふいにゆびさきは解かれ、彼女はふわりと立ち上がる。地に足のついていないような軽い足取りで部屋を出てゆく。
 窓から外を覗くと、白い道を彼女はゆっくりと歩いていた。踊るようにしなやかに行くその背中のはしをずっと追いかけていた。どこに向かうのか、私は知らない。

 ***

「この街を出ようと思う」
 どこか遠いところから自分の声と目の前にいる彼を眺めているような心持ちになる。彼は、ひどく傷ついたような表情をしていた。彼はきっと私ではなく、もっと優しく包んでくれるような子と一緒にいるべきだったのだ。
「どこに行くつもり?」
 ぽつりと、雫が落ちるように落とされた言葉は、部屋のそこで染み込んでゆく。そうなってしまえばもう、私には掬いあげることはできなかった。
「分からない。とりあえず、この街を出て、それから」
「それから、考える? なにも考えて無さすぎるよ」
 私の言葉を無理矢理奪い取るように彼は告げた。嘲笑を浮かべるその表情を、見ていられなかった。
「街の外も、同じかもしれない。それでも私は、行けるところまで行ってみたい」
 一緒にいってほしいと頼むつもりなんてなかった。ただ、笑って送り出して欲しいとは、思っていた。
「ここから出たところなんて、希望なんて無い」
 分かってくれよ、と絞り出すように言われた言葉が胸を刺す。けれど、私の決意は変わらない。
 彼とはそれきり、なにも言葉を交わさずに今日まで過ごしてきた。何か言いたそうな視線を、敢えて気がつかなかった振りをして。その瞳を見なかったことにして、わたしは荷物を担ぐ。私にも時間が無いことに、気がついていた。
「行ってきます」
 ありがとう、と、さよならの言葉を一つだけ残して、私は過去に背を向ける。静かなその部屋に、私の言葉が染み込んでゆく。染みついた私と彼の思い出が、彼の救いになれば良いと強く願っていた。
 彼は、ちいさな背中を向けたまま、なにも言わない。

 白い花びらで覆われたアスファルトの道は、砂の上を歩いているように不安定だ。さくりさくりと、花びらを踏む足音が耳に残る。雪のように、すべて音を吸い込んでいるようだった。その静寂のなかで花びらは、逃げ出そうとする私に何も告げることはない。
 山に囲まれたこの街を抜けるには、短いトンネルを進まねばならない。最後に振り返ると、家々が立ち並んでいたはずの場所が白い花畑となっていた。風にそよいで、ゆらゆらと揺れる。
 花になった彼女が、見送りに来てくれたのだと思った。彼女との約束を反芻し、何度もなぞる。その湿度の籠った思いに触れると、これからのことを後押ししてもらえるような気持ちになる。
「行ってくるね」
 私はもう一度だけ、別離の言葉を口にする。全てを置いてゆくように、もう二度と振り返らない。この街には夜毎に白い花びらが降る。彼らは、この街で花びらとともに眠る。
 トンネルの先には、入り口の形をした光が、私を待っている。

 その先になにが有るのか、私たちは知らない。


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サークル名:四季彩堂(URL
執筆者名:たまきこう

一言アピール
とある蔵から見つかった古書、古物を持っていきます。この物語は、山の向こうで見つけた花に囲まれた屋敷で見つけた本に記されていたもの。少し不思議な物語が大好きで、主にファンタジーの本を扱っています。新刊は歴史ファンタジーの予定です。

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