朝夕の花壇の水やりは、園芸部員の日課だ。
 わたし以外にも数人が在籍しているのだけど、家が遠いとか実質は帰宅部に近いとかで、特に早朝は出てこない部員が大半だった。
 だから3年生が引退してからは、朝の水やりはほぼ、わたし一人の役目になっている──はずなのだけど。
「なんで今朝も来るのよ。暇なの?」
「暇なんだよ、悪いか」
 今はオフシーズンだし、と水泳部に入っている幼なじみは言う。3月になってからなぜか毎朝、わたしが登校するのを見計らうかのように現れては水やりを手伝っていくのだ。
 オフでもジョギングとか自主練習はあるでしょ、と言ってやると「あ、それは学校までの往復でやってるから」と返してくる。いいのかそんなので。
 まあ、学校中の花壇に水をやるにはそこそこ時間がかかるから、誰だろうと人手があるのは正直ありがたい。こいつはお調子者ではあるけど、言ったことはいちおう言った通りにやってくれるし。
「じゃあ、こっちからあそこまでの花壇、全部頼んだわよ。わたしは中庭行ってくるから」
 りょーかい、と受けた幼なじみに校舎前の花壇をまかせて、中庭へと向かう。
 わたしたちが入学する数年前まではさびれていたというけど、今の中庭はとてもよく手入れされている。3カ所ある花壇には今はプリムラやデイジーが咲いていて、ベンチが取り巻く木蓮の樹も、徐々につぼみが開き始めている。風が心地よい日にベンチに座ると、とても良い匂いがするのだ。
 これだけの変化が生まれたのは、今の顧問である大橋先生の尽力によるものだった。理科の先生だけあって、花のことには詳しく、大人数ではない園芸部員をよく指揮して、校内の花や樹をこまめに世話する態勢に変えた。
 当初は、予算の問題とかで校長先生や教頭先生と対立もあったらしいけど、最近では「おかげで来賓の人たちの評判が良い」と、当の先生方に褒められたりもする。園芸部員、さらに現部長としては、鼻が高い。
 ただひとつの気がかり、憂い事を除いては。
 中庭から戻ると、幼なじみ──しげるは、チューリップの花壇の前にいた。こちらもつぼみがふくらんでもうすぐ咲きそうな花がちらほら。
「水やり終わった?」
「あと少し」
「早くしてよ」
 今はグラウンドで朝練をする部活の人たちくらいしか居ないけど、あと20分もすれば多くの生徒が登校してくる。それまでに水やりと片づけを終えてしまわないといけない。
 わーってるって、と言って滋はホースの向きを変えようとした。と、何の拍子にか手からホースが離れて、シャワーヘッドが近くの桜の幹に当たった。
「ちょっと、気をつけてよ。その桜、先生が樹医さんに頼み込んで看てもらったばかりなんだから。傷つけて寿命短くしたりしたら怒られちゃう」
 とは言ったが、大橋先生は優しいから、たぶん怒りはしないだろう。けれど悲しそうな顔はするかもしれない。それはやっぱり嫌だ。
 滋が黙ったままなので「聞いてる?」と尋ねた。それでもまだ答えないから、もう無視して片づけの続きをしようと考えていると、滋は全然違う話題を振ってきた。
「なあ、先生、学校変わるんだよな」
「よく知ってるわね」
「掲示板見たから」
「へえ、珍しいじゃない」
 そういえば、昨日あたりに確か、今年度で離任する先生の一覧が貼られていた。
 ──その中に、大橋先生の名前も含まれている。
 5年いたからそろそろ転勤かな、とは前から冗談混じりに口にしていた。本当にならなければいい、と思っていたけどそれはかなわなかった。
 県内の他の中学に行くそうだけど、学校名までは言えないらしい。いち早く園芸部員に教えてくれた時に、そう言っていた。
「まあ、しかたないわよ。公立だもの」
 と口には出してみたけど、本音ではやっぱりつらい。主導力のあった先生がいなくなったら部活がどうなるのか、という不安もある。4月に来る新任の理科の先生が顧問になってくれるという話だけど、どんな人かもわからないし、部長としては心配が尽きない。
 ホースを倉庫に片づけ、校舎前の花壇を見渡す。
 門に近い所ではもうすぐチューリップが咲き、正面入口に近い所ではゼラニウムも咲く。
 ……夏になればサルビアにマリーゴールド、そしてペチュニア。
 秋はコスモスにインパチェンス。
 冬でもクリスマスローズ、パンジーにビオラ。
 大橋先生が手がけた花壇では、どの季節でも必ず何かが咲くようになっている。正門前、校舎前、中庭から裏庭に至るまで。
 今年も入学式や始業式の頃になれば、校舎前の桜が見事に咲くだろう。わたしが先生と初めて対面したのはまさに入学直後、桜の樹の下でだった。
 入部初日には、わたしの名前に「桜」の字が入っていることを知って、綺麗な名前ね、と言ってくれた。誰に言われるより、先生にそう言われたのが一番嬉しかった──
理桜りお、無理すんなよ」
 思い出をさえぎられて、ちょっとムッとしつつ、そう声をかけてきた滋に顔を向ける。
「何、どういう意味よ」
「好きだったんだろ、先生のこと」
 間が生まれた。
「当たり前じゃない、顧問の先生だもの」
「そういう意味じゃなくてさ」
「────なによ、何が言いたいの」
 声が震えないようにするのに苦労した。対して滋は、いつもとは違う静かな声を変えないまま、続けた。
「そのままだよ。好きだったんだろ。女の先生だけど」
 ずばりと言われて、返す言葉を出せなかった。
 ……大橋、晶子しょうこ先生。
 背が高くて、のりの利いた白衣がよく似合う、格好良くて綺麗で、可愛い先生。
 名前の通り、水晶みたいにキラキラしていて、それでいてけっこう頑固で。
 一度こうと決めたことは、相手が校長先生でも譲らない、負けない。
 見ていてハラハラすることもあるけど、部員にとっては頼もしい先生。
 女の先生だけど。わたしは、女子だけど。
 初めて会った時から、好きだった。今でも。
 ──たぶん、恋している。先生に。
「なんで、わかったのよ」
「見てればわかるって、それくらい」
「……そんな、あからさまだった?」
「いや、そういうんじゃないけど」
 そこで滋は、なぜか言いにくそうに言葉を切る。今までよどみなくしゃべっていたのが嘘みたいに、黙り込む。
 首を傾げるくらいに長い間を空けた後、ようやく口を開いた。爆弾発言とともに。
「俺は、ずっと見てたから、理桜のこと」
「…………え」
 それこそどういう意味、と聞きたかったけど、言葉にならなかった。できなかった。驚きすぎて。
 生まれた時からのご近所さん、小学校の登校班も同じの幼なじみ。低学年ぐらいまでは取っ組み合いの喧嘩をするのもわりと日常茶飯事だった。そんな奴が?
「……そ、そんなこと、いきなり言われても」
 やっとそれだけ言うと、滋は困ったように笑う。
「ごめん、気にすんなよ。言うつもりなかったし」
 そう言って、ふい、と目をそらした顔は、いつもの幼なじみに似つかわしくない、大人びた表情。子供っぽいとばかり思っていた奴のそんな表情はとても意外で、なんだか恥ずかしくなってしまう。自分自身の、感情を隠し切れていなかった幼さが。
 しばらくの、やや気まずい沈黙を破ったのは、また滋だった。
「ところでさ、先生には何か渡したりするの?」
「部員でお金出し合って、花束贈る予定だけど」
「理桜は個人的に、なんかしないわけ」
「──そんなの、できるわけないじゃない。抜け駆けみたいになっちゃうし」
 仮にも部長として、一人だけ特別扱いしてほしいみたいな、そんな真似はできない。大橋先生はそうでなくても人気が高いのだし。
「だったらなおさら、理桜が個人的になんかあげても、別に目立たないんじゃないの。部員とか部長としての立場だけで、後悔しない?」
「……っ、偉そうに言わないでよ。何も伝えるつもりなんか、ないんだから」
 気持ちを伝えたりしたら、先生はきっと迷惑に思う。そんなのはわかりきったことだ。
「別に、ストレートに言えとか言ってないじゃん。伝え方なんていろいろあるだろ」
「伝え方……」
 オウム返しに繰り返すと、そう、と滋が大人びた仕草でうなずく。はっとして、わたしは花壇をもう一度見た。

 それから1週間後。
 修了式の後、園芸部員と大橋先生だけで、いつも部室として使っている教室で集まることができた。
「皆さんとお別れするのは寂しいけれど、私が教えたことはきっと引き継いでくれると信じています。来年度からもどうか、園芸部をよろしくお願いします」
 先生の、あらためての挨拶の間、普段は集まりの悪い部員も含めて皆、神妙だった。涙ぐんでいる子もいた。
 私も、油断するとすぐ涙が流れそうだったけど、一生懸命耐えた。今は泣かない。少なくとも役目を終えるまでは──先生の目がある間は。
 そして私の出番が来た。部員の一人から託された大きな花束を持って、先生の前に立つ。
「大橋先生、長い間お世話になりました。次の学校でもどうか、お元気で頑張ってください」
 用意していた型通りの台詞を、震えないように心持ち声を張って、最後まで言う。
 気丈な先生が、きれいな顔でいつものように微笑みながら、目尻の涙をぬぐった。その仕草に、我慢している涙があふれそうになるけど、まばたきをしまくって必死に寸前で止める。
「ありがとう。しっかり頑張ってね、部長さん」
「……それと、先生、これ。うちで育てたんです」
「まあ、きれいなガーベラね。さすが宮元さん」
 先生の笑顔の方が綺麗です、と思わず心の中で言った。
 家の花壇から選んできた、ピンクと黄色、そして白のガーベラが1本ずつの、小さな花束。
 花言葉はそれぞれ、熱愛、究極の愛や美、希望。
 ……先生が左手に着けている指輪にはもちろん、とっくに気づいていた。薬指に新しい指輪がはまってからの、先生の幸せそうな表情にも。
 明言されるとショックを受けそうで、あえて聞いたことはないけど、きっともうすぐ結婚するのだ。私たちの知らない誰かと。
 先生が幸せになるのなら、かまわない。だけど具体的に相手を知ると嫌な気持ちが生まれてしまいそうだ。勝手だけど、そこは知らないままでいたい。
 花言葉に込めた想いは、表向きは先生の愛の成就を、幸せを願うもの。不自然ではないはず。
 ……気づかれなくていい。自己満足でも。わたしの気持ちが本物なのは、わたしだけが知っていればそれで。でも、もしかしたら先生に何か察してもらえるかもしれない、というほんの少しの希望も込めたくて。
 ──気づくと、涙があふれてしまっていた。先生のいるところでは泣かないと心に誓ったのに。
「部長ー、泣いちゃだめだよー」と部員の声がするけど、一度流れてしまった涙は止められない。
 背の高い先生に、頭をよしよしとなでられる。きれいな長い指が持つハンカチが、わたしの涙をそっとぬぐってくれた。その感覚にどきどきする。
 同時に、二度とこんなふうにされることはないのだ、と思うと寂しくもなった。だからこの指の感触と、元気でねと繰り返す優しい声は、いつまでも覚えていよう。そう強く思った。


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サークル名:さふらわー部屋(URL
執筆者名:まつやちかこ

一言アピール
個人サークルです。
普段は、現代日本が舞台&学生が主人公の、男女の恋愛小説が中心。たまにファンタジー風というか、架空世界舞台の話も書きます。
2幼児育児中の現状、オンライン活動が主。委託にて初参加させていただきます。
今回初めて、GLっぽい話に挑戦してみました。

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