花を贈らぬ者
人気の無い路地に、その身を何とか滑り込ませる。
頽れそうな自分の身体を支えるために、
脳裏を過ぎるのは、先程、大通りで見かけた光景。人混みに殆ど紛れてしまっていたあの小柄な影は、間違いなく、……
あの、花は。冷たくなった汗を、不格好な革鞄から取り出したハンカチで強く拭う。あの花は、禎理にはそぐわない毒々しい赤色をしていた。濃い赤のちらつきを目の端に覚え、ハンカチをぎゅっと握り締める。あの花は、おそらく、貴族が好んで育てている、薔薇と呼ばれる花。この冬の最中に華麗に咲いているのだから、きっと、大切に、時間と費用を掛けて育てられたもの。その花を、禎理はどこに持って行くのだろう? 誰かに届ける? それは、有り得る。七生が産婆兼薬師として暮らしているこの
〈でも、誰に?〉
鼓動が、速まる。
禎理の行き先は、確かめていない。天楚市の西を流れる
天楚市の西、四路川の左岸に広がる通称『蛇神の森』。一時の流行病に全ての家族を奪われるまで、七生はずっと、大陸を流浪し、技術と知識でこの世界を生き抜く『流浪の民』の一人としてこの森の中で暮らしていた。そして、一族を葬った場所で泣いていた七生を森から連れ出してくれたのが、禎理。
禎理も、七生と同じように、そして七生よりずっと小さい頃に、流行病のために家族を全て失っている。同じ境遇であるからか、七生が天楚市で暮らすようになってからずっと、七生と禎理は『姉』と『弟』のように付き合っている。
『姉』なのだから、思いを寄せる人にその心を告白する禎理を祝福するのは、当然。苦くなった唾を、飲み下す。禎理は、……七生には、花を贈ってくれたことなんて、無い。冒険者らしく身軽に、森で摘んできたと言ってしばしば届けてくれる薬草の中には、薬効があるからという理由で花が付いたものもあるが、それは数に入らない。どうして? 我が儘だと分かっている思考を、七生は唇を噛んで断ち切った。
「……よし」
ぐだぐだと悩むのは、性に合わない。薬師として薬草を届ける仕事が終わったら、禎理を捕まえて直接聞こう。その結果が、七生自身を傷付けるものであったとしても、……『弟』である禎理が幸せであるなら、七生は身を引いて祝福するのみ。
仕事を終え、細めの路地裏で禎理を見つけたのは、冬の柔らかい日差しが殆ど傾いてしまった頃。
「禎理!」
その禎理の、普段以上に肩を落とした姿を見るや否や、昼間のことをどう禎理に切り出そうかと悩んでいた七生はその思考を捨て、ほんの数歩で禎理の細い影に飛びついた。
「頬! どうしたのっ!」
小さく細い傷が複数走る禎理の丸い頬に、指をそっと近付ける。引っ掻き傷にしては、傷線の方向はばらばら。禎理が手にしていた花束を見て、七生は怪我の原因を察した。濃い赤は、無残なまでに散っている。真っ直ぐだった緑の茎も、今は見る影も無く折れ曲がってしまっている。
「ん、大丈夫」
血、止まってるよね? 禎理を案じる七生の耳に、あくまで暢気な声が響く。
「棘だけ、目に入らないように注意してたし」
冒険の果てに行方不明になってしまった三叉亭所属の冒険者の遺言に従い、花を持って、その人が大切に思っていた人の許へと赴く。それが、今日、禎理が受けた冒険依頼。その依頼の結果が、頬の傷。傷の引き攣れを気にせず微笑む禎理に、言葉を返すことができない。
「我慢せずに、逃げ出せば良かったのに」
それだけ言うのが、やっと。
「うーん、でも」
叩かれたり殴られたりしても、黙って耐える。それが、頼まれた『冒険』の内容。禎理の言葉に、渋々ながら口の端を上げる。そういえば、この禎理という人物、『天楚市のトラブルメーカー』あるいは『貧乏くじしか引かない者』として、知り合いの中では通っている。呆気に取られることもあるが、それが、……禎理。
とにかく、頬の怪我をこのままにしておくわけにはいかない。気を取り直して禎理の頬から指を離す。三叉亭に戻れば、傷を洗う綺麗な水が手に入る。花の無い花束ごと禎理の柔らかな手を掴み、七生は禎理には分からないように小さく微笑んだ。
サークル名:WindingWind(URL)
執筆者名:風城国子智一言アピール
西洋風ファンタジー『明日の風に中世編外伝・九十九冒険譚』より。今回は、この『九十九冒険譚』シリーズの連作短編集『兎変身綺譚』と、一万字程度の物語を集めた短編集『いちまんじ』、少年主人公の西洋風ファンタジー長編『いつか裏切る世界のために』を委託頒布いたしますので宜しくお願い申し上げます。