color of life.

『お疲れ様です、予定通り終わりました。今日はこのまま直帰させていただきます。』
 至って簡素な報告メールを送り終えたところで、目の前を行き交う見慣れない人たちの影を横目にふう、とため息を吐く。
 ひとまずはつつがなく終わってよかった。報告書の作成や、その他諸々の面倒は明日以降の自分に任せてしまおう。ようやくの見知らぬ街での自由時間の到来なのだから。
「さーてと、」
 わざとらしく声に出しながらの軽い伸びをしたのち、手元のスマートフォンから手早くメーラーの画面を押しやる。
 夕飯の支度はどうしよう。何か買い物は言付けられていたっけ? ああ、きょうは確か、先に帰るから任せておけだなんて言われてたんだった。それなら何かお土産でも見繕って帰ればいいか。せっかくふだんは来ない街まで来ているんだから。
 途端に浮き足立ってくるのを感じながら、ガラス窓に映った、ほんの少しだけよそ行きの自らの姿をじいっと眺める。

 一日中、日が暮れるまでデスクに噛り付いてばかりの毎日はどことなく気が塞がってしまう。とは言え、連日連夜あちこちを駆け回っては毎度見ず知らずの他人と顔を合わせてはご機嫌伺いに終始明け暮れる毎日にも自信がない。内勤と打ち合わせと称した外回りでの業務が程よく回ってくるいまの仕事は、なかなかその点ではバランスが良い。
 こんな風に、普段なら中々訪れない駅で降りるチャンスをもらえるのなら尚のこと。

 迷子を楽しむ子どもの気分になりながら、ビル街の隙間に点在するレザー小物の専門店、昔ながらの喫茶店、程よく色あせてしっくりと街に馴染んだお惣菜屋の看板、個人経営と思しき小さな書店の軒先をじいっと眺める。
 都会の喧騒から逃げてきたのか、昔ながらの古びた商店や無骨なオフィスビルの間に、いやにしゃれたコーヒーショップやアンティーク雑貨の店が点在しているのはなんだかちぐはぐに見えるけど面白い。
 確か近くに大きな公園もあったし、休日になったらさっき見かけたテイクアウトのサンドイッチ屋でお昼を買ってピクニックに来ても案外楽しいのかもしれない。
 今ごろ家路に着いている途中のはずの休日を共に過ごす相手のことを思えば、自然と頬は緩む。
 教えてあげないとな、帰ったら。革靴の足取りも軽く、角を曲がろうとしたタイミングで、ぱっと目を惹く建物が視界へと飛び込んでくる。
 赤茶のレンガ造りの建物にしっくり馴染んだこっくりとしたチョコレートブラウンのテントの屋根に、アンティーク調の木目のガラス戸。軒先には溢れんばかりの緑の木々。
 へえ、これまたおしゃれな。うちの近所では見かけないタイプだ。

「こんにちは」
 恐る恐る、とばかりに扉に手をかけて一歩脚を踏み入れれば、一面の色彩豊かな花々に囲まれた空間に現れたエプロン姿の女性からはにこやかな笑みが投げかけられる。
「何かお探しのものがあれば仰ってください。ご相談などございましたらご遠慮なくどうぞ」
 滑らかに紡がれる、恐らくは定型句なのであろう問いかけを前に、にこやかに笑いかけるようにしながら尋ねる。
「すみません、通りすがりに来たんですけど……おしゃれだなって思って、気になっちゃって」
「ありがとうございます」
 柔和な笑顔に包まれた言葉を前に、かぶせるように答える。
「こういうのってほしくなった時に買ってもいいんですか? わかんなくて、そういうの。いきなり買って帰んのってなんかマナー違反だったりしたらどうしよって」
 素直な心づもりで告げた問いかけを前に、ふわりと花びらのようにたおやかな言葉は落とされる。
「どんなきっかけでも構いません。お客様の日常を彩るお手伝いが出来るのなら喜んでお受けさせていただきます。ご希望のイメージなどがございましたら、ご予算に合わせお作りすることも可能です」
「えっと……」
 周囲を取り囲む色とりどりの花を前に、思わずふかぶかとため息をこぼしながら、忍は答える。
「あんまし気取った感じじゃなくて……食卓とかに飾れる感じの。色は……そんなに派手すぎないけど、明るい雰囲気の。優しいのがいいかな。でも一色だけじゃなくて、いろんな色があるのがいいよなって。ひとまずですけど、あそこの水色のはとりあえず入れてもらって――ごめんなさい、こんなので大丈夫ですか? 色々わかんなくて、花ってちゃんと買うのなんて初めてで」
 堪えようのないもどかしさを前に苦笑いまじりに答えれば、目の前の彼女から返されるのは、温もりだけがたおやかに溶かされたかのようなまぶたを細めたあたたかな笑顔だ。
「いいんですよ、素直に聞かせてくださって嬉しいです」
 ちらり、とこちらの姿を一瞥したのち、やわらかな言葉は続く。
「プレゼントですよね。お相手の方とは、これからお約束が?」
 少しばかりの茶目っ気を込めた問いかけに、思わずさあっとかすかに耳が熱くなる。
 ……なるほど、お客様用の少しばかりの『よそ行き』の姿には、側から見ればそんな作用もあるらしい。
 こほん、とわざとらしい咳払いをこぼしたのち、ぽつりと囁くように答える。
「待っててくれる予定で、うちに帰ったら」
 返事の代わりのように、あたたかな笑みがかぶせられる。

「こちらでいかがでしょうか」
 念入りな相談ののちに仕上がった花束を見せられれば、途端に安堵の笑みがこぼれる。
「ありがとうございます、すごくうれしいです」
「きっと喜んでいただけると思いますよ」
 得意げな笑顔は、みるみるうちにおだやかに心を温めてくれる。
 恐る恐るの手つきで花々を包む薄紙に指で触れるこちらを前に、やわらかな言葉は続く。
「よろしければカードをおつけすることも出来ますよ。何か記念日の贈り物でしたら、そちらに合わせたカードのご用意がございます」
「えっと……それなんですけど」
 じいっとこちらの様子を伺う笑顔を前に、遠慮がちにぽつりと、とっておきの言葉を告げる。
「……結婚するんです、もうすぐ」
 照れくささを隠せずにいれば、すぐさまかぶせるように、満面の笑みをたずさえたやわらかな言葉は降り注ぐ。
「おめでとうございます、こちらもとても嬉しいです」
「……えっと、そんな」
「ほんとうにありがとうございます。当店をお選びいただけてとても嬉しいです、どうぞお幸せにお過ごしくださいね」
 飾りなんてかけらもない言葉たちに、ふつふつと心が温められていくのにただ身を委ねる。
 知らなかった、ずっと。見ず知らずの誰かにこんな風に祝いの言葉をかけてもらえることが、こんなにも嬉しいだなんて。
 こんなにも耐えがたいほどの喜びがあることを、誰よりも大切な相手がまたひとつ、教えてくれた。
「……ありがとうございます」
 思いを込めて呟く、ここにいない大切な相手を思いながら。
 こんなにも愛おしい。こんなにも愛してる。こんなにも大切だ。それを知ってもらえる瞬間はこんなにも嬉しい。
 こんなにも耐えがたいほどの幸福な瞬間が、きっとまだこれからもたくさんある。
「今度はお相手の方とぜひおふたりでいらしてください、いつでもお待ちしておりますので」
「……ええ」
 たおやかな笑みに包まれるようにして告げられる言葉に、きっぱりと、祈りを込めるように答える。きっと、彼女の思ってくれている『相手』とは違うけれど――そんなの、すこしも構わない。
 なによりも大切なのは、それを知ってもらいたいと思う気持ちには嘘も偽りもあるわけがないだなんてことなのだから。

 ほんの一瞬だけ閉じたまぶたのその裏に、いますぐ会いたくてたまらない、誰よりも大切な相手の姿を思い浮かべる。
 帰ったらぜんぶ話すから、ちゃんと。ここであったこと、感じたこと、たった一言の、ほんのささやかな言葉にこんなにもあたたかな気持ちをもらえたことを。
「……はやく会いたくなっちゃった」
 思わず口をついて出た言葉を包むように、あたたかな笑顔がこぼれ落ちる。

 幸福の香りが、ただ静かに満ちていく。


Webanthcircle
サークル名:午前三時の音楽(URL
執筆者名:高梨來

一言アピール
ささやかな幸福の香りはいつだってすぐそばに。/「ほどけない体温」から、少し未来のふたり。
男の子に恋する男の子のラブと自立と成長を軸に、様々愛情と優しさのあり方についてお話を書いています。今回は眠りにつく前のあなたに寄り添うアンソロジー「さよなら、おやすみ、またあした」が初頒布です。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはほっこりです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • ほっこり 
  • キュン♡ 
  • ほのぼの 
  • 受取完了! 
  • ロマンチック 
  • 怖い… 
  • 胸熱! 
  • しみじみ 
  • この本が欲しい! 
  • エモい~~ 
  • そう来たか 
  • 尊い… 
  • ゾクゾク 
  • しんみり… 
  • かわゆい! 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • 泣ける 
  • 感動! 
  • 楽しい☆ 
  • 笑った 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください