心のなかに

 僕は一つの大きな種だったのだと、彼女は言う。
 アンナが裏庭を歩いていたら、大きな種が落ちていて。触ったらパンと弾け、ぐっすり眠る幼い僕が出てきたのだと。
 そんな荒唐無稽なことあるものか。
 僕はただ単純に庭先に捨てられていた子供で、アンナはそれを拾って育ててくれている。僕は拾われた時のこともそれ以前のことも、覚えていない。
「ジュリアン、おはよう」
 毎朝、アンナは笑顔で挨拶をくれる。ブラウンの髪に、青く澄んだ瞳。アンナは綺麗だ。
 僕は黒い髪に黒い瞳。こんな奴、この界隈には他にいない。肌もくすんだ色をしている。
 朝食をよそいながらアンナは言う。
「今日はジョーシュ先生が来るから、寄り道しないで帰ってね」
「今日は星降りの祭りの日だよ。二人で行くんでしょ」
「え? あ、そうだ! 嫌だ、ジョーシュ先生に来ていいよって言っちゃった……」
「祭りはずらせないよ。先生の方をずらしといて」
 アンナは口をとがらす。ジョーシュ先生は彼女の亡きお父さんの教え子で、毎月我が家に顔を出す。三人で食事をして、一泊して帰る。そういう習慣だ。
 朝食を終えると、僕は学校へ行く。彼女は玄関まで追いかけてきて、言った。
「今年はジョーシュ先生も一緒に、お祭りへ行こう。これで解決! 学校まで先生と迎えに行くからね!」
 僕は無言で家を出た。
 ジョーシュ先生は物知りで色々教えてくれるから、嫌いじゃない。でも……彼も一緒に祭りに行くのが、なぜか気に入らなかった。
 アンナの家は小高い丘の上に建っている。学校は丘の裾野から広がる『星降りの街』にあった。丘からは、街の向こうに大きな湖も見渡せる。朝の湖は薄く靄がかかっていた。
街の皆が僕を見る目には、いつも怪訝な色が浮かんでいる。何度見ても僕に慣れてくれないんだ。仕方がない。僕も、自分に慣れることがないんだから。
 学校に着くと、僕は僕だけの教室に入る。僕だけの先生が僕だけの授業をする。
 初めは皆と一緒に授業を受けていたけれど、僕は皆と同じ速度で勉強を進めることが出来ず、友達とも続かなかった。
 午後の授業が終わると、アンナが車で迎えに来た。
 ジョーシュ先生は助手席から降りてきて、髭の生えた顎で笑って僕を見る。
「一カ月も会えなくて、寂しかったよ」
 毎月、同じ挨拶。僕は先生にぎゅっと抱きしめられて、小さな子供のように頭を撫ぜられる。もうすぐ同じ背丈になるのに。たぶん来月か、再来月か。それくらいに。
 僕は助手席に乗り込んだ。ジョーシュ先生は後ろのシートに、旅行鞄と一緒に収まる。
 星降りの祭りは、大昔から続く地元の祭りだ。
 湖の周りで歌ったり踊ったりして、夜には舟を出して。それから、天の星を見つめる。
 祭りの日付は厳密には決まっていない。
 古文書によれば、夏の夜に天から星が落ちてきて、山を一つ潰して大きな穴を空けたのだ。そこに水が湧いてきて、湖が出来た。
 湖に人の集落が出来て、街へと発展した。
 星降りの祭りは、湖を作ってくれた恐ろしくもありがたい星に捧げる祭りだ。星の落ちてきた正確な日付はわからないから、夏の、星の見える夜に催される。
「あれ? 買い物は?」
 祭りに持参する食糧を買わなきゃいけないのに。車は真っ直ぐ、湖へ。
「ジョーシュ先生と済ませたの」
 ふうん、と。鼻先で返事をして、僕は窓に目を移す。
アンナと過ごす四度目の祭りの買い物を、二人でしたかった。
 石畳の道を進み、緩やかな坂を下りて行く。
 大きな湖の向こうには、なだらかな山の稜線が見える。
 岸には、もう火を焚いている人がいる。
 初めて参加した時は楽しかった。友達と舟に乗って、大の字になって星を見た。でもじきに、皆は僕の不思議に気付いて。一緒に舟に乗ってくれるのはアンナだけになった。
 アンナがいてくれればそれでいい。僕はとても幸せな気持ちになれる。

 開けた場所を見つけて、僕らは車を止めた。僕と先生は食糧を広げる。アンナは舟屋に彼女の舟を引き出してもらうために、その場を離れた。
「君は大きくなったね」
 先生はナイフを扱いながら言う。
「どれくらい背丈が伸びただろう。君はすぐに大きくなる。ほら、あそこにいる子……一昨年は一緒に遊んでいたろう?」
 両親と一緒に、たき火の周りではしゃいでいる子。エドだ。
「あの時は同じ背丈だったじゃないか」
 僕は日々大きくなる。それは成長期なんて可愛いもんじゃない。異常な、成長。
 体も、心も。僕の全てが、友達より早く成長していく。
 同じ目線で話していたエドの、額を見下ろすようになり、つむじを眺める自分に気が付き。屈まないと目線が合わなくなって。
 僕達は、離れた。
「どうしてそんなに早く、大きくなるんだろうな」
 世間話みたいな穏やかな声で、先生は言う。
「成長の早くなる病気かもしれない」
 先生の青い目が僕を見る。僕は先生が嫌いじゃない。でも、好きでもない。
「もっと大きな街の大きな病院に行けば沢山の機械があって、優秀なお医者が沢山いるから、病気のことを詳しく調べてくれるよ」
 アンナが戻って来た。先生は笑みを浮かべて、口を閉じた。
 夜が更ける。舟をこぎ出し、三人で天を見上げた。
 アンナから良い香りがする。前から良い香りだったけど。最近は、他の何とも似ていない、美しい匂いが漂っていた。
 まぶしい、匂い。
 彼女の深呼吸が聞こえる。舟のたゆたいが、心を満たす。
――成長の早くなる病気かもしれない。
 先生の言葉が心に浮かぶ。
 成長が早いということは。つまり、早く老いるということだ。
 老いるということは……。
「きれい……」
 アンナが吐息のように呟く。優しい手は、前の年の祭りの夜と同じように、僕の掌を握っていた。

 翌日の午後。学校から帰ると、アンナは庭で出迎えてくれた。ジョーシュ先生は既に出立していた。
 彼女は「おかえり」と笑う。薄手のシャツに汗が滲んで、体にしっとり貼りついていた。
「暑いね、冷たいものでも飲みましょう」
 キッチンに入ると、彼女はアイスティーを作る。その後ろ姿。華奢な首筋。
 昔は飛び跳ねても届かなかったうなじが、今は簡単に掴める。少し手を伸ばせば、おくれ毛が覆う白くて細いうなじを掴んで、それから……。
「午前中に屋根裏を整理してたら、疲れちゃって。庭仕事ならいくらでも出来るのに、屋根裏だと続かないの。埃っぽいせいかしらね~」
「なんで急に、屋根裏なんか……」
「何が置いてあったかなと思っただけ」
 振り返るアンナと一緒に、空気が揺れる。また、良い香りがする。不思議な匂い。めまいがする。
 向き合っておやつを食べながら。僕は夕べからずっと考えていたことを、切り出した。
「僕は病気かもしれない。早く成長しちゃう病気」
 アンナは睫毛を震わせて、僕を見つめた。
「ジョーシュ先生に言われたの?」
 彼女は僕のいないところで、先生とそんな話しをしていたんだ。
「それは可能性の話よ」
「大きな病院なら調べられるって。僕、行ってみたいけど。お金がかかるんだったら、無理かなって……」
「お金はかからないわ。先生の知り合いのお医者さんが調べてくれるから。行きたいなら、病院の近くに部屋を借りよう。そうしたら私、病院に通ってあげられるから」
「一人で行く」
 アンナは眉を寄せる。
「この家、留守にできないだろ。庭はすぐジャングルになるし、壁の隙間から虫とかネズミとか入ってくるし。僕は病気のこと調べたら帰ってくるのに、家が廃墟になってたら困るよ。一人で行くから、アンナは家にいてよ」
 ジョーシュ先生に詳しい話を聞いておくと、小さく答えて。アンナは少しぎこちなく、話題を変えた。

 病院へ行くことが具体的になった頃。アンナは僕の部屋にやってきて、小さな欠片を寄越した。
 透き通ったガラス玉の中に、黄色い蕾が入っている。
「あなたを拾った時にね。あなたの入っていた種は弾けて粉々になったからもう無いんだけど。あなたが握っていたこれは……」
 アンナは僕の手の中のガラス玉を見つめる。
「屋根裏に仕舞っていたの。あなたはやんちゃだしずんずん大きくなるから、てんてこまいで。すっかり忘れてたんだけど、お祭りの夜に星を見てたら急に思い出したの。あなたがこの家に来る前から持ってた物って、これだけだから。ちゃんと渡さなきゃいけないって、気がついたのよ」
 なんて花かしらねと、アンナは呟く。じわりと、僕の頭の中に鈍い痛みが浮かんで、消えた。
 庭の沢山の植物の中に、この花は無い。
 僕は花から彼女へと目線を移す。ガラス玉を覗きこむ睫毛。柔らかなまぶた。癖のある髪が一筋、ヘアクリップから外れて首筋に流れている。
「アンナ、ありがとう。これをとっておいてくれて」
 彼女は額を上げて、僕を見つめた。優しく笑って、うんと頷く。
「今年の星降りの祭りは、なんだか不思議だったわ。舟の上でゆらゆらしてたら、とても優しい気持ちになって……」
「僕も。湖の底に流れ星が埋まってるのを想像しながらゆらゆらしてたら、優しい気持ちになったよ」
 また来年も、と。アンナは囁くように言う。
「来年も舟の上で、一緒に星を眺めましょう」
 おやすみなさい。彼女は静かに、部屋を出て行った。
 アンナの手に温められ、僕に渡されたガラス玉。その中に埋もれた蕾が、僕に囁き声を思い出させる。「これは蝋梅っていうのよ」と。それは心の中から湧きあがる囁き声。そうだ、僕はこの花を知っている。
アンナとは別の意味で大切な女性の声が教えてくれたんだ。「これは蝋梅っていうのよ。とても良い香りがするのよ」と。
 覚えてるよ、ずっと忘れていたけど。いつだって、思い出したい時に思い出せるはずだったんだ。
 これはその女性の大好きな花だ。故郷の花だ。
 故郷にはもう帰れない。だから彼女は僕に、帰る場所を作るように言ったんだ。
「あなたの帰る場所はこれから行く場所よ。ポッドは一つしかないから、母さんは一緒に生きられないけど。いつかポッドが開いたら、あなたは新しい故郷で、もう一度生まれるの。母さんのこと忘れていいけれど、思い出したくなったら思い出して」
 僕は知っている。忘れていたけれど、本当はずっとわかってた。
 僕は早く成長する病気なんかじゃない。僕はただ、皆より早く成長する、そういう生き物なだけだ。
 見かけは似ているけど、僕とアンナは違う生き物だ。
 本当の故郷がどこかはわからない。僕は遠くからここに来て、帰る場所はここしかない。
 僕はアンナが好きだ。母さんを好きなのとは違う意味で好きだ。
 一緒にいたい。ずっとずっと一緒にいたい。
 彼女の背丈を追い越し、老いて、死んでしまうその間際まで、彼女と一緒にいたい。
 けれど一緒にいたくない。
 ガラス玉を見下ろす彼女の睫毛を見ていると、彼女に触れたくなってしまう。彼女の香りをずっと纏っていたくなる。それは駄目なことだ。それは彼女が愛してくれている、可愛いジュリアンにはふさわしくないことだ。
 彼女は蝋梅と同じだ。ガラス玉を割って、触れてみたい。その芳香を嗅いでみたい。けれどそれをしたらもう二度と、元には戻らない。
 だからガラス越しに眺めるしかない。愛おしさをこめて、ただひたすらに眺め、心の中で沢山の言葉を語りつくすしかない。

 大きな病院に行く日。僕は着替えをまとめて家を出る。
 ジョーシュ先生が街まで迎えの車を寄越すから。僕はアンナに、見送りは庭先まででいいと言った。
「私が病院まで送るのに。どんな病院か見ないと……」
「いいから。日帰り出来ない場所なんだからさ」
「そうだけどね、私は保護者なのよ。たった四年ぽっちだけど、でも……」
 その四年で、僕はアンナを見下ろすほどに成長した。
「これ、持ってて欲しい」
 僕が差し出したガラス玉を受け取って、彼女は目を見開く。
「駄目よ! お守り代わりに持ってらっしゃい。知らない土地に行くんだからね!」
「アンナに預かってて欲しいんだよ。だって」
 彼女のくせのある前髪を、そっとかきあげてやる。アンナは戸惑うように僕を見つめる。
「持っていったら壊されるかもしれない。この珍しい花を調べたいっていって」
 彼女の眉毛がひくりと震えた。澄んだ瞳がうるむ。
「そんな乱暴なこと……」
 僕は笑って見せた。ジョーシュ先生は僕らを気遣ってこの家に通ってたんじゃないんだよと、心の中で彼女に教える。僕の心は日毎に成長し、世界を鮮明に見通せるようになっていく。
「ジュリアン、あなたとずっと一緒にいたいのよ」
「うん」
「あなたがもしも早く成長してしまう病気だったら。そうしたら、私より早く……逝ってしまうでしょ。だからね、もし成長を遅らせることが出来るのなら……」
「アンナ」
 僕は病気じゃない。これはどうにもならない。
「わかってるよ。嫌だな、そんな顔しないで。僕も同じ、ずっとアンナと一緒にいたいから、病院に行くんだ」
 さようなら。
 僕が笑ってみせると、彼女は僕のシャツを握った。
「よそう、ジュリアン。このままでいいわ、一瞬きりでもいいわ、長く一緒にいられなくてもいいから、このままにしよう。病気でもいい、病気じゃなくても……」
「行ってきます。ちゃんと帰ってくるから大丈夫」
 僕はきびすを返して走り出す。ゆるい坂道を、すっかり成長した足で走る。アンナは追いつけない。
 眼下に街の遠景が見える。その先に湖が見える。
 優しくきらめく湖。
 あそこに流れ星が眠っているんだろうか。
 僕はちゃんと、「帰る場所」を見つけた。そこにはアンナがいた。
 アンナは花だ。決して触ることの無い、愛おしい花だ。
 彼女はあのガラス玉を見て、何を想ってくれるだろうか。
 僕もまた、彼女にとっては触れることのできない存在になる。
 彼女の人生は僕のそれよりずっと長い。だから、僕のことは忘れてくれて構わない。
 ただ、思い出したい時にだけ思い出せるように。
 心の中にそっと、閉じ込めておいてくれたら、それでいい。

  おわり


Webanthcircle
サークル名:チューリップ庵(URL
執筆者名:瑞穂 檀

一言アピール
ショートショート集・創作小箱を不定期に発刊しています。他、読み切り短編やシリーズものなど。ほのぼの・しんみり・ホラー・恋愛・SFなどなど、テイストは様々です。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのは切ないです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • 切ない 
  • しんみり… 
  • 泣ける 
  • 胸熱! 
  • 受取完了! 
  • ゾクゾク 
  • エモい~~ 
  • しみじみ 
  • この本が欲しい! 
  • 怖い… 
  • 尊い… 
  • そう来たか 
  • かわゆい! 
  • 感動! 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 笑った 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ロマンチック 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください