これも神戸がはじまり
僕の師匠、神戸専門アーティストの凪
このリストに上がっているスポットの数が尋常でなく多い上それぞれ頻度が違うため、スケジュールにはめ込む難易度はかなりのもの。
当たり前だが彼女には依頼仕事もたくさんある。
撮影だけでなくデザインに印刷、加工や製本、ステージの演出まで、とにかくこの人は神戸というジャンルにかかるものは断らない。
雑用係兼アシスタント兼秘書の僕にしてみればたまったもんじゃない。テトリスもびっくりのブロックパズルを毎日繰り返している。前任者が急に辞めてから僕が雇われるまでの二ヶ月弱は一体どうしていたんだろうか。
そんなわけで、いつだってスケジュールはパンパン、目一杯詰め込んであるところに更に追加でなにかをというのは正直やめていただきたいところであり、本日もめでたくその件で口論になっていた。
「だから、その日はもう無理ですって。なんでもっと早く言わないんですか」
「二十分でええねん、空けて」
「そういう問題じゃないんです、汐緯さんはその日もう朝一から仕事が入ってて……聞いてます?」
「いややー、どうにかならんの?」
「ならないです」
「そこをなんとか!」
「無理です」
「頼むわぁ、旭ー」
「大体、なんでこんなギリギリに言ってくるんですか。先週ならまだどうにかなったのに……」
「だって、プレスリリースが今日やってんもん!」
この人は神戸に関する情報が載るサイトやSNSの類をかなりこまめにチェックしている。
神戸市の記者提供資料ページも例外ではなく、毎晩六時半頃に更新される一覧を全部開いて読む。そしてLINEで僕に送りつけてきてスケジュールを押さえろと言う。
イベントごとは募集ものを除き、市のリリースが割とギリギリになることが多く、いつも大抵先約ありで泣いてもらっているのだが、今回は妙に粘る。まあ内容を聞けば分からないでもない。
まだ一週間あるし、僕としてもできれば調整したいところだけど、いかんせんどうにもずらせない仕事が詰まっているのだ。
「でもね、物理的に無理なものは無理ですよ。小学校の遠足同行カメラマン、汐緯さんが自分でピンチヒッター受けたんですからね」
「あ、そうか、それの日か」
「そうですよ。クラス数の多い学校だからって僕にも撮らせようとしてたくらいでしょ、絶対抜けられないですからね」
「あー、それ元々代打のやつやからもう他には振れへんしなあ……」
「だから諦めてください。行きたい気持ちは分かりますけど、無理ですから」
「……はぁい」
食後の一杯をそれぞれのマグに注ぎ、汐緯さんがぐずぐずになっているソファのサイドテーブルに片方を置く。
神戸で珈琲と言えば有名な大手が目立ちがちだが、中堅どころに老舗も多い。
その中でも汐緯さんのお気に入りは元町の一軒と垂水の一軒。都度どちらの店のどの豆にするかを聞いて、それから師匠の選んだ方を指示通りの操作で淹れる。
この珈琲作り、期間限定のバイトとして雇われた夏の間は師匠が自分で冷やしたものを飲ませてくれたが、秋に入って継続雇用になってからは僕の仕事になった。十月からのこの暮らしも二ヶ月目の終わりになれば慣れたもの。
師匠宅のキッチンもそれこそ勝手知ったるありさま。
家族が心配するので基本的に夜には自分の家に帰るけど、疲れてどうにもならないときにはここに泊まる。
仕えているのがこのワーカーホリック――というか趣味が仕事そのものの人なので、気を抜くと僕も引きずり込まれてしまう。平日の日中は大学生をしていることだけがストッパーだ。ちなみに単位は危うい。
「あっ」
「仕事の方を僕だけで済ませるのも無理ですからね」
「う……」
四ヶ月も毎日顔を突き合わせていれば、言いたいことは大体分かる。
同じ期間毎日写真を撮っては添削を受けてきて、景色や静物はそれなりに分かるようになってきたけど、人物を撮った経験はまだほとんどない。
テンションの上がった小学生なんて無理だ。ましてや子ども達の思い出になるはずのそれを、僕の腕で撮れるだなんて驕りはしない。
「逆に、僕に撮らせるのも違うんでしょ、そっちは」
「うん……」
平成三十年十一月二十九日、朝九時十五分から。
その二十分間は、汐緯さんのように神戸が大好きな人にとって特別な時間。
こうべ花時計の移転セレモニーが行われる。
昭和三十二年、日本最初の花時計として作られた神戸の花時計は、中心市街地を南北に通る主要道フラワーロードの西側、神戸市役所の主要庁舎である一号館二号館の北側に設置されている。
季節ごとに意匠を変えて色とりどりの花を植え込み、ときには市民からの公募デザインを表現する。神戸のシンボルのひとつとして市役所のそばにあり続け、本庁舎現二号館が震災でワンフロア少なくなったこともすぐ隣で見てきたのがこの花時計だ。
その神戸市役所本庁舎もいよいよ耐用年数を迎えるとあって、段階的な建て替えとそれに伴う三宮再整備が進んでいるのは、そこかしこで耳にするところ。
その影響で、どうしても花時計のあるあの土地を使わなければならない状況になったそうだ。だから花時計は移転する。
撤去の前に針を止めるセレモニーを撮りたいと、汐緯さんは言っているのだった。
そこには、汐緯さんの気持ちが必要だ。僕がいくら彼女の気持ちを汲めたとしても、シャッターボタンを押すのは僕にはできない。
本人が撮るから意味があるのだ。
しかし今回ばかりは仕方がない。
引き受けた仕事を無責任に放り出せないくらいの社会性は汐緯さんにもあるし、なにより神戸の小学生の笑顔を撮るのもやっぱり楽しみなのだ。
汐緯さんの神戸好きは神戸の魅力を知れば知るほど加速して、身体がひとつでは足りない状況になっている。だからこういうこともそれなりにある。
一度しかないものに対してこうなってしまったのは運が悪いとしか言えないけれど、それもまたなすがままなされるがままの運命なのだ。
しかし、そこは汐緯さん。
――持ってるんよなあ、この人。
十一月二十九日、九時に灘区の浜手にある市立小学校を出発したバスは、最寄りの高速入口で起きた車両事故のため下道での走行を余儀なくされていた。
目的地は北区山田町藍那にある、あいな里山公園。農業体験ができる国営公園として、市街地の学校からの人気が高いらしい。
本来なら学校近くから高速に乗り、そのまま新神戸トンネル経由で走って、しあわせの村か藍那で高速を降りるところ、三宮まで下道からの国道二号で新神戸トンネルへルート修正を行うことになった。
その結果、バスは神戸市役所近くの交差点へ九時二十分頃にさしかかり、しかも信号に引っかかり。神がかったタイミングだった。
久しぶりに持たされたフルサイズを構えようとしてやめる。このSDカードは仕事用のだ。
僕の乗っているバスの方が先行車、後ろにいるだろう汐緯さんに伝えてあげようか迷って、まさかそんなことしなくていいだろうとそれもやめた。
ちゃんと左側に乗ってるだろうかとか、乗ってたらもうかぶりつきだろうなとか、やっぱり好いてれば好かれるもんなのかなとか、色々考えて。
青信号にバスは発車する。
少しして、尻ポケットでスマホが震えた。誰からかなんて見なくても分かるけど。
小学生の前でスマホをいじるのはあまりよろしくないのだが、最前列の膝の上でこっそり見る分には許されるだろう。
>見た!?
はいはい、見ましたよ。
咄嗟にスマホで撮ったらしい、ちょっとピンボケの写真もね。
こうべ花時計は、一旦神戸のまちから姿を消し、三月には東遊園地南側へ仮移転する。
……三月のスケジュールはあんまり詰めないようにしておこうっと。
サークル名:PreBivi(URL)
執筆者名:姫神 雛稀一言アピール
前まで「春夏冬」だったひとです。
ソロで神戸のお話を書き始めています。
今回は昨年11月末に一旦姿を消したアレの登場。
今は跡地が白い仮設壁になり、暫定移転予定地は絶賛工事中です。旧噴水の中に移すんですってよ。