『ミディアミルド物語』外伝「その佳き日まで」第五章「ほうれんそうのポロル」 抄
【此処に至るまでのあらまし】 女性との
※※※
ノーマン・ティルムズ・ノーラは、既に日課と化した
いつもと違う点があるとすれば、それは、彼が左腕に花の
「あーっと、こんばんは」
マリ・ジェラルカ・マーラル嬢の部屋に通されたノーマンは、芸のない挨拶をした。この一か月で、気の利いた挨拶など出し尽くしていた。元々さして
「今日……も怖い顔だが……そう睨まないでくれるかな」
「……私は元からこういう顔です」
相手の相も変わらぬ頑なな声に、ノーマンは気が重くなった。
一か月――一か月もの間、殆ど変わらぬこの硬直した声と態度は、一体何なのだ。今日こそは相手からもっと他の態度表情を引き出してやろうという意気込みが、いつもと同じように砂の如く崩れそうになる。
(え、ええいっ、へこたれて、へこたれて
何の為に、こんな大荷物を持ってきたんだ――ノーマンは自分を奮い立たせると、手にしていた花の束の白い包みを右手に持ち替えて、相手に差し出した。
「受け取ってくれ。出る前に、庭で選んで
マリ・マーラルは、虚を衝かれて目をしばたいた。
「……あ、有難う」
流石に受け取らぬわけにも行かないと悟り、些か慌て気味に立ち上がって、おっかなびっくり受け取る。
戸惑いながら見直すと、
「それから、これも受け取ってくれ。城から帰ってから作った」
次いで差し出された白い包みを、マリは訝しげに見た。形から見て、木箱か何かが包まれているらしいが……。
「……これは、何?」
「ポロルだ。ウチの庭で拵えてる
真剣な表情で、ノーマンは答える。ポロルとは、米または小麦粉に牛乳・鶏卵・砂糖などを加えて型に嵌め、天火で蒸し焼きにして作る、柔らかい菓子の呼び名であった。
マリは、今度こそ完全に面食らった。男性が女性を口説く際に
「――
彼女の当惑顔をどう誤解したのか、ちょっとムキになった感じの声で、相手は言った。その口調の子供っぽさに、彼女は再び目をぱちくりさせた。もう三十にもなろうかという男の裡に、今迄見たことのない“少年”の顔が確かに窺えたことは、彼女にとっては驚きであった。
「……有難う……」
花束を卓上に置き、両手を
「今でも後でもいいから、食べてくれ。ああ、今は
渡すべき物を全て渡し終えて安堵したのか、ノーマン・ノーラはひどく嬉しそうな笑顔を見せながら、そう言った。マリは釣られて笑いそうになったが、ぎこちない笑みになるのが怖く、顔を
(どうして、自然に笑い返せないのだろう)
いつも繰り返す自問が、またマリの心を支配した。自分の頑なさが相手を気詰まりな心境に追い遣り、居心地悪くさせていることは、充分承知している。だが、自分でもどうにもならないのだ。好い加減愛想を尽かされているだろうと思う。にも拘らず毎晩こうして、それこそ一日たりとも休まず自分の所へやってくる相手の律儀さが、呆れを通り越して不可思議極まりなかった……。
ノーマンは、またしても表情を硬くして俯いてしまった相手に、溜め息をつきそうになった。だが、彼は、相手が顔を強張らせる直前に確かに笑みを浮かべかけていたことを見逃してはいなかった。
(そう言えば、俺はまだ一度も、こいつが笑うところを見たことがないよなあ)
そんな想念が
(……そうか、俺は、こいつの笑顔が見たくて、懲りもせず日参してるってわけだ、詰まるところ)
やられたな――とノーマンは、やや自嘲気味に内心で呟いた。“
(そうだよなぁ、俺は元々、普段は可愛げがなくておっかないくらいの女の方が、口説き甲斐があって好みだったもんな)
殆ど怒ったような“おっかない”顔しか見たことがないというのに、何故自分がマーラル家訪問を“日課”にしていたのか、それでようやく納得出来た――と、ノーマンは吹っ切れた気分で考えた。要するに、自分は、とうの昔に、この“絶世の醜女”に惚れてしまっていたのだ。そのことに気付くのが遅れたのは不覚だったが……。
(もっとも、相手の気持ちはどうもよくわからん、というところは、ちっとも今迄と変わらんな)
ノーマンは小さく肩を竦めると、咳払いした。
「えーっと、なあ、そろそろ腰掛けてもいいんじゃないか?」
彼が掛けた声に、マリ・マーラルはビクッと肩を震わせて顔を上げた。
「そ、そうね――気付かなくて御免なさい」
ノーマンは、おやっと思った。気のせいではなく、相手の頑なさにごく僅かな綻びが見えたのだ。
「先に座って待っていらして。私はこれを生けてもらって、それから、ポロルを切り分けてきますから」
娘は慌て加減に言い残すと、花束と箱を抱えてやや小走りに部屋を出ていった。ノーマンは息をつくと、言われた通り椅子に腰を下ろした。動くときびきびしている女だな、と考える。
(……いや、それは
一対一の組み稽古は、お互いの腕に圧倒的な力量差がない限り、気楽なものにはなり得ない。話の切っ掛けどころではなく、双方の疲労の元だ。第一、女性武人相手に本気にならねばならない状況に置かれるのは、もう御免である。女性武人の存在を
だが、女相手に勝てばああ言い負ければこう言い、という奴は、女性武人を一段低いものと見ている大馬鹿だ、とノーマンは思う。女性の身で敢えて武人として身を立てようかというほどの人物となれば、精神的にも力量でも男性武人顔負けというぐらい強いのだ。
ノーマン自身も、十代の頃は女性武人を軽視していた。しかしそれは、亡きデフィラ・セドリックとの対戦や交誼を通じて改められた。近衛隊にも主に女性王族の警護に回る十何名かの女性武人が居るが、彼女達を見ていると、その体の柔軟さと技の確かさ、そして
(だけど、女性武人の本当の恐ろしさは、あいつらが女だということなんだよな)
ノーマンは卓上に頬杖を突きながら更に思いを巡らした。
(世の大方の武人は男だ。それで以て、俺達男はどうしても、相手が女だと思うと、わかってるつもりでも、
何しろ、腕力で敵わないことを知っている彼女達の技は鋭い。並みの腕では最初から女性の身で武人にはなれないのだ。それなのに、世の男どもは、なかなか
サークル名:千美生の里(URL)
執筆者名:野間みつね一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。本作では、その外伝集『その佳き日まで』の表題作から、マーナ近衛隊の副長ノーマン・ノーラが婚約者に花束と手製菓子を贈る場面を抜粋。……因みに彼は、アンソロ「祭」に寄稿した「初めてのロベンバ」に登場する“若様”である。
「一言アピール」に記載した「祭」アンソロ寄稿作「初めてのロベンバ」へのリンクを、当コメントのサイト欄に入れておきますね。そちらは、こちらの抜粋より四半世紀ほど昔のお話です。宜しければ、併せてどうぞ(笑)。