ポンティアナック

昭和三十五年八月九日(消印) 八月十二日 戸田達夫宅に配達(差出人不明)
 しば□□あなたのもとに□□ませんでしたが、ようやく□□□て参りました。たいせつな□□ちゃんを守れなくてごめんなさい。

昭和三十五年八月十三日 戸田達夫の日記
 善徳寺より本家の墓の骨寄せの手続き、儀式がすべて完了したとの手紙を受け取る。開眼法要にしか立ち会えず、任せきりで住職には世話をかけた。住職曰く、昭和十七年の梅雨時に亡くなった月島サエの墓にだけ骨が見当たらなかったとのこと。彼女の葬儀の日の、しとしとと降り止まなかった雨のことを思い出す。土葬の骨が土に還ることもあるよし、奇怪な話ではなけれど、ほかはみな遺っていたらしく不思議に感ずる。
 奇怪と言えば昨日届いた手紙のほうが奇怪である。差出人の記載がなく、心当たりもない。ところどころかすれて読めないが、なぜとはなしに気にかかる。
 返送できかねるが差出人が名乗り出るかも知れない。しばらく手元に置き、処分するつもりだ。
 夕刻、東部ニューギニア戦友・遺族会の遺骨収集団より電報あり。
 先般、本年の調査を終了し、叔父、月島明の遺品を持ち帰ったとのこと。叔父とサエは夫婦であった。同日の報に縁を感ずる。

昭和三十五年十二月十八日 戸田達夫の日記
 東部ニューギニア戦友・遺族会より荷物あり。叔父の遺品、背嚢一式。状態が良いのは自然洞穴の中程にあり雨風に当たらなかったためとあり。近辺にそれらしき遺骨なしとのこと。遺体は獣に喰われたか。背嚢の底に日記及び封書あり。

昭和十七年三月吉日 月島サエの手紙
 拝啓 こちらは寒さも緩んで参りました。(中略)あなたが出征されてふたつきになります。あなたは帰ってきてからと仰いましたが、わたしの我が儘を叶えてくださり、ほんとうに感謝しています。お義母さまもよく気にかけてくださって、わたしは月島の家で幸せに過ごしております。いまは祝言の夜のぬくもりを胸に、あなたがお帰りになるのを楽しみしております。武運長久をお祈りしつつ。 敬具 サエ

昭和十七年五月吉日 月島サエの手紙
 拝啓 こちらは緑目映い季節になりました。(中略)素敵な押し花をありがとうございます。手紙を開いた途端、ふうわりと甘い香りがして、サエはあなたの胸に抱かれた夜を思い出しました。
 わたしは四月にすこし体調を崩しましたが、いまはだいぶん良くなりました。
 先日のお手紙では聯隊の駐屯地で元気にお過ごしとのこと。南の島はもう暑いのでしょうね。
 お帰りになりましたら、ご報告したいことができました。お身体に気をつけてお過ごしください。敬具 サエ

昭和三十五年十二月二十二日 戸田達夫の日記
 叔父、月島明の背嚢にあった手紙類を読んでいる。昭和十七年のはじめに叔父が出征したとき、私は八歳だった。戸田の家から汽車で片道二時間、月島本家に集い、母とともに万歳三唱した。叔父は背が高く、まっすぐに立っていてもすこし傾いだような姿勢が癖の、物静かなひとであった。
 半年後の月島サエの葬儀にも参列した。言葉を交わした記憶はあまりないが、黒髪の美しい色白の女性だった。亡くなったのは妊娠五ヶ月、妊娠中毒症のせいだと、当時、母から聞いた。手紙のなかの『報告したいこと』とは妊娠のことであろうか。半年前に同じ理由で亡くなった私の妻トシエのこともあり、胸の詰まる心地がする。
 八月に骨寄せを済ませた月島の家は本筋が絶え、継ぐ者なく、明の姉の息子である私が相続せざるを得なかった。
 そのせいで私の再婚の話も出ている。本家を守るためにも早く子を成せということだろう。親戚に会うたびにあれこれ世話を焼かれるが、いまはその気になれずにいる。しかし空き家同然の月島の屋敷、手つかずの田畑の手入れをしてくれている隣人や先日世話になった住職への礼もあること、年末年始はあちらで過ごすつもりだ。

昭和十七年六月二十日 月島明の日記
 まだ六月だというのにずいぶん暑い。本土と違い、毎日のように降る雨は、バケツをひっくり返したような勢いで、湯のようだ。駐屯地での訓練は日増しに厳しくなる。近く本格的な作戦があるという話で持ちきりだ。
 色街に通う者がポンティアナックが出た、などという噂を仕入れてきた。南方の妖怪のたぐいか。サエさんの手紙にあった「報告したいこと」が気にかかる。夢想するような朗報ならばなんとしても生きて帰らねば。決意を新たにする。

昭和三十五年十二月二十五日 戸田達夫の日記
「ポンティアナック」とはなにか

昭和十七年七月二日 相川ゆきこの手紙(慰問袋に入っていたものだろう)
 謹啓 燦々と日輪の輝く季節となりました。わたしたちが安心して勉学に励めるのは、兵隊さんのおかげです。……(後略)

昭和十七年七月□□ 
 夢に見ます。焦がれたこころは海を渡ります。紅い、血のように紅く咲くあれはあなたの手紙にあった南の島々の花。花の香りで胸が苦しい。錆の臭いもします。まるで血のような、なまぐさい。どこかで□□□□の声が聞こえる。□□□を呼んでいる。可愛いわたしの□□□□。ああ、生きたい。これは夢。あなたにひとめ逢いたい。命が欲しい。□□欲しい。

昭和十七年八月三十一日 月島明の日記
 今日、慰問袋を受け取った。石鹸、シャツ、傷薬、胃腸薬に女学生からの手紙が添えられており微笑ましく拝読。勇気を百倍する。
 今回、私信の封入はないと聞いていたが、サエさんからの手紙も入っていた。彼女との強い縁を感じる。だが内容には、少々不安を覚えた。以前の手紙には四月に体調を崩したともあったよし、サエさんは無事だろうか。

昭和三十五年十二月二十六日 戸田達夫の日記
 昭和十七年七月の手紙で差出人不明の分は、これは月島サエの手紙だろうか? 叔父は妻の筆だと思ったようだ。たしかにほかの手紙の筆跡と似ている。しかし彼女は昭和十七年六月十日に死亡している。日付については書き誤ったものか。文字がかすれ、ずいぶん読みにくい。

昭和十七年九月十八日 月島明の日記
 イオリバイワに食糧なし。不安。だが前進あるのみ。同じ隊の江崎が白い女の姿を見たと言う。

昭和十七年九月三十日 月島明の日記
 食糧の徴発もままならない。敵の焦土作戦か。部隊の三人が消えた。白い女の噂が後を絶たない。

昭和三十六年一月三日 戸田達夫の日記
 月島本家に泊まり、善徳寺をはじめ、諸々年始の挨拶を済ます。
 夕刻、花の香りが漂う村の農道で、遠くに人影を見る。色の白い女性ふたりと、兵隊服の男性ひとりであった。復員の兵隊服の男性がどことなく叔父に似ているように感じたのは、すこし傾いだような姿勢のせいだったろうか。そういえば、女性のうちのひとりは、ありえないことだが妻のようにも感じた。遠目ではあったが後ろ姿がとてもよく似ていた。挨拶したいと思ったが、すこし目を離した間に、どこかへ立ち去ってしまったようだ。同道していた住職に素性を尋ねたが、住職は三人の姿を見ていないとのこと。
 月島サエの部屋の小机に、叔父からの手紙と、新聞の切り抜きを見つける。
 彼女の手紙にあった、押し花も見つける。叔父の手紙には、プルメリアの花だと書いてあった。花は干からび、さすがになんの匂いもしない。

昭和十七年十月十日 月島明の日記
 陸軍の補給船により久しぶりに空腹から解放される。海軍はなにをやっているのか。
 昨日、江崎が「白い女に会った」と言い残し、いなくなった。今日、変死体で発見される。現地民兵の報復だろうか。どこかで赤ん坊の泣き声がする。

昭和十七年十二月七日 月島明の日記
 増援を得て、近く再攻勢をかけるという。空腹。行軍中、白い女を見た。黒髪、白いワンピース。遠目であったが、あの横顔……私は幻を見たのだろうか? ああ、サエさんに逢いたい。ホギャア、ギャアと、頻りに泣き声がする。赤ん坊のようなあれは現地の鳥の声だろうか。季節ではないのにプルメリアの香りがする。

昭和三十六年一月十日 戸田達夫の日記
 月島本家より帰宅。私ひとりのこの家は、物寂しく感じる。喪の葉書を出し損ねたとみえ、妻の友人から二、三枚、年賀状が届いていた。
 妻の亡くなったよし、連絡が遅れた詫び状を書く。
 懐かしさに、ふと妻と交際しおりの手紙を出してきて読み返し、心にかかることがあり、昨年八月に迷い込んだ差出人不明の手紙を出してくる。処分しようと思っていて、忘れていたものだ。
 やはり妻の筆跡に似ている。文字はかすれ、乱れてはいるが、似ている。
 だが、あり得ない。妻は六月におなかの子とともに亡くなったのだ。

昭和三十六年一月二十日 戸田達夫の日記
 カラスかまびすしい夜、仕事帰りに汽車を待っていて、反対側の駅舎にあの三人の姿を見る。
 正月に月島本家の農道で見た三人だ。
 まえよりもずっと間近で見た彼ら……女性のうちの一人は、見間違えようもない。たしかにトシエだった。
 急いで反対側に向かったが、たどりついたときにはもう彼らの姿はなかった。周囲には甘い花の香りが残っていた。
 ああ、トシエに逢いたい。

昭和三十六年一月二十五日 東部ニューギニア戦友・遺族会事務局よりの返信
 先般、お問い合わせのあった件ですが、ポンティアナックとは、インドネシアの州都の名称です。
 また、私も遺骨収集事業で現地を何度か訪問するうち、聞きかじっただけですが、お産で死んだ女性の幽霊がポンティアナックだと言われております。黒い髪、白い肌、白い服を着てプルメリアの香りとともに現れ、鋭い爪で男性の身体を引き裂き、血を啜る妖魔として恐れられています。いまでも時折、「出る」と現地では信じられています。

昭和十七年一月二十日 月島明の日記(これ以降白紙)
 再攻勢は失敗したか。先日の戦いで部隊からはぐれ森をさまよい洞窟に辿り着く。マラリアの熱が高くもう一歩も動けない。サエさんに逢いたい。赤ん坊の声がする。甘い匂いがどこかから漂ってくる。ああ、サエさん、魔物でもいい私を迎えに来て欲しい。

昭和十八年二月九日 大本営発表(新聞切り抜き)
「(前略)右掩護部隊としてニューギニア島のブナ付近に挺進せる部隊は寡兵克く敵の執拗なる反撃を撃攘しつつありしがその任務を修了せしにより、一月下旬陣地を撤し他に転進せしめられたり」
(戸田達夫付記:新聞の隅の余白に『明は帰ってくるか? サエのことはどう話すか?』と走り書きあり。祖父の筆跡か)

昭和三十六年二月一日 戸田達夫の日記
 昼間、親戚から会社に電話があった。縁談はもう断るのも億劫だ。
 深夜だというのに、カラスの鳴き声が止まない。

昭和三十六年二月三日 戸田達夫の日記
 叔父の日記に一縷の望みを託す。叔父に亡くなった月島サエから手紙が届いたように、私に届いたあの手紙は、妻のトシエからのものに違いない。サエは叔父を迎えに行ったのだ。ならば私も……
 毎晩のように聞こえてくるあのカラスのような鳴き声は、私とトシエとの間の、生まれてこなかった赤ん坊の泣き声だ。どこからか甘い花の香りがする……(きっと、これがプルメリアの花の香りなのだろう)こんな夜ならきっと。

「トシエ、どうか私を迎えに来て欲しい」

昭和三十六年二月八日 報日新聞記事
 二月七日、〇〇県〇〇市在住、戸田達夫氏は自宅書斎で遺体となって発見された。無断欠勤を不審に思った勤め先の同僚が戸田氏の自宅を訪問、鍵の開いていた書斎窓から室内を確認、警察に通報した。検死の結果、二月四日には死亡していたと推定されている。〇〇県警は、遺体の状況により事件に巻き込まれた可能性もあるとして捜索している。親族によると、彼は去年亡くなった妻のことで悩んでいたといい……(後略)

昭和三十六年八月発売 雑誌「怪奇實話 第七号(通巻第三十三号)」記事
 猟奇!? 甦る死体
 今年二月、自宅書斎にて腹部を錐のようなものでメッタ突きされ、全身の血を抜かれて死亡していた〇〇県〇〇市在住、戸田達夫氏が埋葬されていた墓が、六月になって何者かに荒らされ、遺体が消失していた。
 現場を捜査した警察は、「現場は数日来の雨でぬかるんでいたにもかかわらず足跡もなく、死体を引きずった形跡もない」と語った。
 墓のある××県××村では、昨年から白い服の女や復員兵姿の幽霊が現れ、飼い犬や家畜が血を抜かれて殺される被害が相次いでいる。本紙記者の独自調査で分かったことは……(後略)

戸田達夫の日記 最終項(日付記載なし・記載者不明)紅い南国の花が押し花のように挟まれている。
 愛している。これからも、ずっと。

サークル情報

サークル名:バイロン本社
執筆者名:宮田 秩早
URL(Twitter):@takoyakiitigo

一言アピール
おもに吸血鬼小説と吸血鬼映画紹介本を書いています。ときどきファンタジー世界で税金を徴収したい皇帝陛下のための税金本。今回は、日記と手紙と記事で綴る南国吸血鬼譚です。この話は本当なのか、妄想を抱いた主人公が事件に巻き込まれただけなのか……

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