冒険者

 水面は凪いでいた。
 純也は腕組みをし、毛布の先端にあぐらをかいたまま、眉間にシワをよせる。拓実はそんな純也を、黙って見つめた。
 おばあちゃんの家の押し入れにあった毛布が魔法の毛布だと気がついたのは、弟の純也だった。
 ふかふかで厚みがあって、不思議な柄の毛布。
 拓実と純也だけでお泊りに言った時に、おばあちゃんが二人にかけてくれた毛布だった。二人はそれを貰って帰った。
 魔法の毛布は、舟のように水に浮くし、ソリのように斜面を滑り降りるし、飛行機のように空を飛ぶこともできた。使い方を心得ているのは主に純也だけれど、拓実にもある程度は扱える。
 二人はキプロス島を目指していた。
 毛布の真ん中に置いてあるのは地球儀。拓実が小学校に上がったお祝いに、おじいちゃんが買ってくれたのだ。
 それは二人の大事な道しるべだった。
 沢山の冒険は、その地球儀を頼りにしていた。
「どうしよう拓実、こう風がなくっちゃ舟は動かないよ」
「今どこにいるんだろう?」
 純也は地球儀を覗きこんだ。
「イタリアの近く。だから、ずーっといってあと少しなんだ」
 イタリアなら知っている。お母さんが絵葉書を持っていて、絵本みたいな町並みの国だ。
「港に入って、風が出るまで待てないかな?」
「港まで辿りつくにも風がいるよ。毛布は風がないと動けないんだからさ」
 それにさ、と純也は続ける。
「港に入ったら、ぼくらが宝探ししてるって聞きつけたやつらが襲ってくるかもしれない。毛布と地球儀を取られたら、もう旅は続けられない……」
 ふと、拓実は上を見た。
「純也! 鳥だよ、もしかして……」
 青い透き通った空。時のとまったような無風をかきわけて、小さな影が旋回してから舞い降りてくる。
 翼の大きな鳥。旅のさなかにそばしば現れるオウムに似た大きな鳥だ。拓実達はそれを「アーガリオン」と呼んでいた。
 金色の華奢な何かが、陽光を反射してきらめきながら拓実の膝先に落ちてくる。そして、アーガリオンの足がその上に着地した。拓実の手と同じくらいの大きさの、大きな足だ。
「小僧ども、足止めをくらっているな?」
 緑と赤の極彩色の羽に、金色の太い嘴。アーガリオンは丸くて優しい目をしていた。
「だって風がないんだもん。な、純也」
「このまま海の上で餓死しちゃいそうだよ」
 クルル クルルと、アーガリオンは喉を鳴らした。それが笑い声だと気がついたのは、つい最近のことだ。
「空を飛べばいいじゃないか、小僧ども。こないだ会った時は飛んでいた」
「あれだって風がなきゃ無理だよ。毛布には風が必要なんだ」
「とすれば、やつらのやり口は正解だってことだな、クルル クルル」
 はっと、拓実と純也は顔を見合わせる。
 やつら。それは、宝を探す二人を邪魔しにくる、謎の集団だった。
「風を止めたのはやつら? そんなことできるの?」
「相当な力を使ったろうが、やつらの力に間違いない。毛布に載った小僧どもは魔力に護られて手出しできないが、風を止めて海上から動けなくし、餓死させることなら出来ると踏んだんだろう」
「そこまで必死になるってことは、宝はキプロス島にあるんで間違いないのかな?」
 どうだろうな、とアーガリオンは小首を傾げ。足をずらす。
 拓実の膝の上に金色の小さなネックレスが落ちていた。さっき空から降って来たきらめきは、これだったのだ。
「わからんが、キプロス島の浜でこれを拾った。これは姫君のものだ」
 アーガリオンの目が哀しげに揺れる。彼は、大切なお姫様を探して旅をしているのだ。
「姫君があの島にいるのかもしれない。小僧ども、姫君を助け出してはくれまいか?」
「もちろんだよ、な、拓実」
 姫君はやつらから逃げ回っている。それは宝のありかを知っているせいなんだと、アーガリオンは前から言っていた。
 宝がなんなのか、アーガリオンにはわからないけど。姫君はどこかで秘密を手に入れて、命の危険を感じて城から逃げ出してしまったのだ、と。
 姫君を助ければ宝も手に入る。そして、アーガイルも喜ぶのだから、断る理由は無かった。
「それはいいとしても、先に進めなきゃどうにもならないよ。純也、どうしよう?」
 純也はまた腕組みをした。このまま風を待っても無駄だ。
「そういえば理科の授業で習った。拓実、海の中には海流があるんだ」
 はっと、拓実は純也の横顔を見つめる。そう、地球はぐるぐると動いていて、空には空気の流れが、海には水の流れがあるのだ。水の流れは、海の中の風みたいなものかもしれない。
「でも水の中は息ができないよ!」
「やってみなきゃわからない。だってこれは魔法の毛布なんだよ!」
 純也は懐に地球儀を抱え込み、体を丸める。ソリに乗って滑空するようなポーズの弟を見て、拓実はアーガイルを抱えて同じように体をかがめた。毛布の端を握って、唇を噛む。
「もぐるよ!!」
 純也の体が前のめりになる。拓実は毛布に額を擦りつけてアーガイルを守った。
 ふわりと、温いものが体を包み。体はぐいぐいと引きこまれるけれど、水を感じなかった。
「すごいよ拓実、魚が見える、水族館みたい!」
 はしゃぐ声に、拓実は目を開ける。目の前を魚の群れが泳いでいく。岩の陰に魚が見える。
 見上げれば美しい水面、そこに浮いている影は、凪に身動きの取れなくなった漁船だろう。
「水の流れに乗ってキプロス島に近づこう。アーガリオン、今度こそ姫君と会えるよ、きっと」
 どんな人なんだろう。きっと綺麗な人だ。
 そしてどんな宝があるんだろう。純也は教えてくれないけれど、きっと知っているんだ。だって宝の話しを始めたのは純也だから……。
「拓実」
 女性の声が耳を打った。瞬間、心臓をきつく握られたかのように、体が震え。拓実は、目を瞑る。周囲から海底の光景が消え去った。
「拓実、ちょっと……」
 ゆっくりと瞼を開けて。拓実は振り返った。
 黒い服を着た伯母が立っていた。皺の増えた顔に、困ったような気まずいような、そんな表情を浮かべて。襖を開けた格好のまま、拓実を見ていた。
「ねえ、そろそろ時間だから、あなた、しきってくれない? 加奈子、なんていうかもう……無理だから。わかるでしょ?」
「もう少し……五分したら行くから」
「よろしくね」
 襖が渇いた音を立てて閉じる。
 一人きりになり。拓実は、毛布を見下ろす。
 祖母の家から貰って来た毛布が、六畳間の焼けた畳の上に広がっている。その上には、ところどころ禿げた地球儀。国の名前も国境線も、もう古びている。
 子供会の景品で貰った鳥のぬいぐるみは、目玉がはずれて綿が偏っていた。
 そんなものが取ってあったことが驚きだった。
 拓実は毛布の先端を見つめる。
 あの頃は。畳の部屋に二段ベッドと二つの勉強机があり、空いたわずかな隙間に毛布を敷いて、二人で遊んだ。
 純也は優しかった。優しくて賢くて、楽しかった。
 優しかった。優しすぎた。
 純也が最後まで過ごしていた部屋は、まず拓実が去り、二段ベッドが無くなり、勉強机が一つきりになり、おもちゃもなくなって。すっきり片付いた青年の部屋になっていたが。
押し入れには古い冒険の道具が残っていた。
 宝がなんなのか、最後までわからなかった。姫君がどんな人かもわからなくて、キプロス島にも辿りつけなかった。
 地球儀をくるりと回して指で押さえたのがたまたまキプロス島だっただけで。それがどんな島なのか、あの時は二人とも知らなかったけれど。宝は確かにあったに違いない。冒険を続けさえすれば……。
 どうして冒険が頓挫したのか、よく覚えていない。
 正月に貰ったお年玉で新しいゲーム機を買ったから、部屋で二人、空想を膨らませる必要がなくなったせいかもしれない。それとも、空想に埋没する無邪気さを、どちらかが失ったせいかもしれない。
 冒険は止めたけれど、拓実と純也は現実の中で沢山のところに出かけた。二人きりで夜行バスに乗って旅にも出た。心の中のことも、日常のことも、未来のことも過去のことも、沢山語り合った。
 だのに。今日、この日にこの部屋で拓実が思い出すのは、毛布を敷いて二人だけで楽しんだ、終わることの無い冒険だった。小学生の純也の、毛布の端っこで腕組みをする細い背中だった。
 純也は優しかった。とてもとても優しかった。
 拓実は喪服の襟を直し。立ち上がってズボンの皺を伸ばした。
 凪いでいた。今この瞬間、心は凪いでいた。
 涙も怒りも哀しみもなく。心は身動きのとれない舟のように、凪の中にいた。
 海底の冒険に出たままの毛布を見下ろして。
 それから、部屋を出た。

 おわり


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サークル名:チューリップ庵(URL
執筆者名:瑞穂 檀

一言アピール
ほのぼのファンタジーやホラー、SFのショートショートを書いています。

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