彼はきっと、薔薇の城

 乾いた病葉が、土の上を何処までも覆っていた。ひび割れた花壇の間、舗装されていた小径はかつての姿を忘れて寂しい色をしていた。獰猛な蔓薔薇に石畳の亀裂を絡められながら、溝から緑が萌えることはない。
 朽ちた色彩の芯に略奪者のような貪婪が息づいていた。廃園にしては薔薇によって廃されて滅んだような、あまりにも強い瘴毒を持つ場所であった。
 薄靄に包まれた薔薇園で、ギュスターヴは花の手入れをしていた。庭の手入れはギュスターヴの仕事だった。花を愛でるような趣味も気質もないギュスターヴは、淡々と枝を切っていった。一抱えほどの薔薇を切り、とりわけ大きく美しい花をつけた枝を切り落として、ギュスターヴは大輪の中心を見つめた。見ているだけでむせるような薔薇に、顔をしかめる。ギュスターヴは花が苦手だった。形骸めいた虚しさを感じるのだ。いつか枯れてしまうだけの移ろう美しさには、まるで仮住まいのような侘しさを覚える。
 ギュスターヴは薔薇を抱えて庭から城へ戻った。一抱えの虚無を、抱えているような心地だった。天井から血の雨を思わせるシャンデリアの赤光が妖しく照らす仄暗い広間の花瓶に、薔薇を生ける。
 飾り付けが一箇所済むと、ギュスターヴは同僚の部屋に向かった。足元の赤い間接照明を辿って廊下に出たところで──立ち止まる。血臭に敏感なギュスターヴの鼻先が、出血してから間もない血の味を捉えたのだ。しかし足を止めたのは数秒のことであった。慣れた覚悟を決めて進み、同僚の部屋の扉を叩く。
 部屋の内部は、この一室だけ病院の集中治療室のようであった。ギュスターヴに使用用途が分かるものは人工心肺と心電図くらいで、延命器具の数々がひしめき合って存在を主張していた。
 ギュスターヴはベッドで眠っている同僚を無感情に見下ろした。両腕に麻薬中毒者も青ざめるような数の針を刺した古傷と点滴の管が生々しかった。その姿は栄養を与えられているというよりは、管に絡め取られて逆に生命を啜り上げられているようなおぞましさがあった。
 口を覆う人工呼吸器の覆いに、血が跳ねた痕が残っている。吐血したのだろう。でも心電図は動いている。同僚はまだ、死体ではないらしかった。
 ギュスターヴは静かにしたまま、病室の花瓶に花を飾った。
「ギュスターヴ、花をありがとう」
「! 何だ、意識があったのか」
 同僚の瞼は医療用のテープで止めてあり、当然ながら声も出せない。ギュスターヴが顧みたのは同僚のベッド脇にあるカメラと拡声器だ。同僚は全身不随ゆえに脳を電動知能(コンピュータ)と同期させている。唯一機能する耳で周りの様子を音として拾う。カメラは視力の代用品だ。いつもは立体映像の姿を借りた姿で不自由なく人生を楽しんでいるが、今は映像として出てくる元気がないらしい。同僚のセレナーデに、ギュスターヴは気のない声で尋ねた。
「毒の治験だったのか?」
「そう……今度ばかりは死ぬかと思った」
「笑えない冗談はやめろ、お前がそう言うとぞっとする」
 花を生けながら溜め息をついたギュスターヴに対してセレナーデはへらへら笑った。
「お前は本当に花が似合わないよな。薔薇が可哀想なくらいだ」
「悪かったな」
 ギュスターヴは短く吐き捨てて、花の位置を整える片手間に呟いた。
「何とでも言え。おれは花は好きじゃない」
「いつか枯れるから?」
 セレナーデはギュスターヴの内側に溶け込むような波長で言った。図らずも手を止めたギュスターヴの行動は、セレナーデに解を与えたも同然だった。
「おれも、花って好きじゃない。死んでいく自分に、枯れていく花を重ね見てた時間が、長かったから」
 もう目は花なんて映さないけれど。そう付け加えて、
「花なんて、慰めの仮住まい……でも薔薇はいいな。閣下を、思い出せる」
「主(あるじ)を?」
「そう──薔薇そのものは墓標なのに、閣下の恩恵を分け与えられているから」
「理屈っぽい奴だな、お前は」
 ギュスターヴはぼやいた。皮肉げな口角、大きな口が、ぴくりとする。
「珍しいことを言うな……いつもひねくれてるお前が、ひとと花を重ねるような話をするとは思わなかった」
「情緒的と言ってほしいな」
 口先を尖らせるような言い方だが、セレナーデの合成音声に大した起伏はなかった。むしろ平板な音声には楽しげな響きがこもっている。
 互いに生き汚いと言ってもいいほど命に執着しているから、ギュスターヴもセレナーデも共に、花を愛でる心を持たない。いずれ朽ちる命に関心がない。執着と無関心は、水っぽい虚無の味がする。
「おれも薔薇は嫌いじゃない。美しいと、思ってる」
「信じられないね。お前が食えもしないものを好むなんて、どんな理由さ」
 ギュスターヴは壁に寄りかかってぼんやりと中空を見上げた。
「薔薇に主を思い出すと言ったな? おれは薔薇に、おれたちを思い出す。花の虚しさ、色を欠いた薔薇に、おれ自身を重ね見る。色がないのは……主が存在するからだ」
 ギュスターヴは唇に軽く牙を立てた。曇った金の目に、鋭いものがかすめる。
「主はいつだって、おれの真実だ。だからこそ、おれは朽ちるだけでもいい」
 セレナーデが鼻白んで笑った気配があった。ギュスターヴはむっと腕を組んで、吐き捨てる。
「……どうせ、頭が悪いとでも言いたいんだろう?」
 セレナーデの無言を肯定として受け取り、ギュスターヴは残りの薔薇を抱えた。
 ──花というのは形骸で、死体に似ている。美は衰えるものではなく、忘れるものである。
 ギュスターヴと、セレナーデの立体映像が仕える主人の部屋に入ると、麗人は花瓶の前に立っていた。枯れた薔薇の茎を手に、長い睫毛がゆるやかに伏して、瞳に影を落としている。
「どうして、僕の部屋に飾った花は、すぐに枯れてしまうのかな……」
 美は住処を忘れていく。花の命はすぐに忘却される。
 廃屋。誰もがいずれは廃墟になる。薔薇園もまた、頽廃がひしめく雑踏である。
 この麗人は違った。美が通り過ぎることのない、永遠が住む城。美が唯一忘れない存在、美しさの真髄が全ての依り代を捨てて帰る場所。
 慰めの仮住まい、住人が忘れ去った花の形骸を、ギュスターヴは切ったばかりの薔薇と替えた。


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サークル名:紅茶会事変(URL
執筆者名:剣城かえで

一言アピール
耽美と狂気、薔薇と逸脱。仮想西洋ダークファンタジー長編。寂しくて短い話を集めた掌編集。薔薇とシュールレアリズム。アンソロジーの掲載作品は長編『三主従』より。

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